収容所群島

原題
Arkhipelag GULAG
作者
アレクサンドル・ソルジェニーツィン
成立
1973
ロシア
時代
ソヴィエト期

概要

1973年12月にパリで刊行された、ソ連の強制収容所制度についての記録である。全三部・七編からなり、日本語訳で数千ページに及ぶ大著である。副題に「文学的考察の試み」とある。

「群島」という比喩が、この作品の見方を示している。ソ連全土に散在する収容所を、一つの海に浮かぶ島々の連なりになぞらえる。普通の国土の中に、目に見えないもう一つの国が広がっているという認識である。「GULAG」は、収容所を管理した機関の略称にあたる。

内容は、収容所制度の全体を、人が体験する順に追う。逮捕、取り調べと拷問、移送、収容所での労働と生活、そして流刑。ソルジェニーツィン自身の八年の体験を軸に、二百人を超える元囚人の証言と、公開された記録が織り込まれる。

小説ではなく、証言と歴史と考察を混ぜた形式をとる。筋を持つ物語ではないため、通読ではなく、部分を追って読まれることが多い。

執筆は1958年から1968年にかけて、秘密裏に行われた。発覚すれば逮捕は確実であり、原稿は分割して各地の協力者に隠された。ソルジェニーツィンは、証言を集め、記憶し、一箇所にまとめない方法で書き進めた。

刊行の引き金は、ソ連当局による原稿の押収だった。1973年、協力者の一人が尋問の末に隠し場所を明かし、その直後に自殺した。原稿が当局の手に渡ったことを知ったソルジェニーツィンは、国外での刊行に踏み切る。同年末、パリでロシア語版が出た。

刊行の反響は大きかった。1974年2月、ソルジェニーツィンは逮捕され、国籍を剥奪されて国外追放された。以後、亡命生活が続く。西側でも、ソ連批判にとどまらず西洋の物質主義をも批判し、複雑な受け止め方をされた。

ソ連国内では、この作品は長く発禁だった。ソ連で正式に刊行されたのは1989年である。1990年には学校の必読書に指定された。ソルジェニーツィンは1994年に帰国した。

文学史における評価と影響

20世紀の証言文学の記念碑とされる。ナチスの絶滅収容所についての証言と並んで、全体主義国家の犯罪を後世に伝える基本文献に位置づけられる。

政治的な影響は、文学史の枠を超える。この作品は、ソ連の体制の正統性そのものを揺るがした。西側の左翼知識人の中には、ソ連を理想化する見方が残っていたが、この書はその幻想を打ち砕く役割を果たした。「グラーグ(GULAG)」という語が、収容所制度を指す国際的な言葉として定着したのも、この作品による。

文学作品としての評価には議論もある。膨大で、体系だっておらず、著者の怒りと信仰が前面に出る。客観的な歴史記述とは異なり、証言と主観的な考察が混在する。ソルジェニーツィン自身、これを「文学的考察の試み」と呼び、通常の歴史書ではないことを断っている。記録と文学の境界に立つ作品として扱われる。

倫理的な考察の部分は、この作品を単なる告発から区別する。善と悪の線が人間の心の中を通るという認識は、被害者が加害者を糾弾するだけの構図を退ける。収容所を生き延びた者として、ソルジェニーツィンは、憎しみではなく、人間の条件そのものへの問いへと向かう。この姿勢が、ドストエフスキー以来のロシア文学の系譜に、この作品を接続する。

日本でも全訳が読める。長大なため、第一部から順に、あるいは関心のある部分を選んで読まれることが多い。

内容

第一部は、逮捕から始まる。ソ連では、誰もが理由なく逮捕されうる。夜中のノック、密告、でっち上げられた罪状。ソルジェニーツィンは、逮捕の瞬間に人が味わう衝撃を、さまざまな例で示す。次いで、取り調べの実態が描かれる。自白を引き出すための拷問、睡眠を奪う尋問、家族への脅し。刑法第五十八条——反革命活動を罰する条項——が、いかに広く恣意的に適用されたかが分析される。

第二部は、移送と収容所の日常を扱う。囚人を運ぶ列車と船、中継監獄。収容所の内部の階層、労働のノルマ、飢餓、密告者の存在。過酷な労働と乏しい食料の中で、囚人がどう生き、どう死んだかが記される。

その中で、ソルジェニーツィンは倫理的な考察を挟む。収容所は人を堕落させるだけではない。極限の中で、かえって精神が深まることがある。「わが生涯を横切る善と悪を分ける線は、国家や階級や党派の間を走るのではなく、あらゆる人間の心の中を通っている」という一節は、この作品で最も引用される。加害者と被害者を単純に分けず、誰の中にも両方があるという認識である。

後の部では、大規模な運河や鉄道の建設が囚人の労働によって行われ、無数の死者を出したことが記される。収容所の反乱、流刑地での生活、スターリンの死後の変化までが扱われる。

作者

登場する文学史