象徴主義とは? 言葉の喚起力に賭けた近代詩の出発点
- 発祥
- フランス
- 年代
- 1857–1900
象徴主義は、19世紀後半のフランスに始まった詩の運動である。事物をありのままに描くことをやめ、言葉が読む者の心に呼び起こすもの——連想、気分、余韻——そのものに賭けた。詩を、意味を伝える道具から切り離そうとしたこの試みは、20世紀の詩とその理論の出発点になった。
背景 — 見えるものを写すことへの不満
同じ頃、小説では写実主義や自然主義が、目に見える現実を細かく写す方向を突き進んでいた。象徴主義の詩人たちは、そこに満たされないものを感じる。人の心をいちばん深く動かすもの——名づけようのない気分、予感、目に見えない世界の気配——は、事物をありのまま描いても捉えられないのではないか。
ならば、意味をはっきり述べるのをやめ、言葉の響きや連想そのものに、その気配を呼び起こさせればよい。この賭けが象徴主義である。見えるものの奥をうかがう感覚は、前の世代のロマン主義から受け継いだものでもあった。
事物を、奥にあるものの記号とみなす
起点はボードレールである。詩集悪の華(1857年)の一篇「万物照応(コレスポンダンス)」では、香りと色と音が互いに呼び合い、対応し合う。現実の事物は、その奥にあるものへ通じる記号だ——この考えが、ここから出てくる。同じ1857年、この詩集と、写実主義のボヴァリー夫人がともに風俗を乱すとして裁判にかけられ、詩集のほうが有罪になった。散文の姦通よりも、詩が美と悪を結びつけることのほうが危険とみなされたことを示している。

三人の詩人が段階的に進めた
象徴主義は、三人の詩人によって一歩ずつ推し進められた。
| 詩人 | やったこと |
|---|---|
| シャルル・ボードレール | 事物を、奥にあるものの記号とみなす出発点を作った |
| ポール・ヴェルレーヌ | 「何よりもまず音楽を」と、詩の意味より響きを優先した |
| ステファヌ・マラルメ | 事物の名を言わず、その事物が呼び起こす効果だけを立ち上げようとした |
具体的に見てみる。ヴェルレーヌの詩の一節は「わが心に涙ふる/街に雨のふるごとく」と始まる。フランス語の原文では「泣く(pleure)」と「降る(pleut)」がほとんど同じ音で、その響きの重なりによって、心の中の涙と外の街の雨との区別が溶けていく。意味を説明するのではなく、音そのもので気分を立ち上げる——これが象徴主義の詩の書き方である。
ランボーは、感覚を意識的に狂わせることで未知の世界へ達すると宣言し(地獄の季節、イリュミナシオン)、そして二十歳前後で文学そのものを捨て、アフリカで武器商人になった。到達点はマラルメである。名ざしを避け、事物が呼び起こす効果だけで詩を組み立てるため、その詩は一読しては意味が取りにくい。詩は、世界の何かを指し示す道具であることをやめ、言葉が言葉として自立する。
各国への広がり
波及は速かった。アイルランドのイェイツ、ロシアのブロークとベールイ、ドイツ語圏のリルケとホフマンスタール、そして日本の萩原朔太郎や北原白秋へ届いた。
とりわけロシアの銀の時代では、象徴主義が宗教的・終末論的な色を帯び、革命前夜の不安な空気と結びついた。同じ運動が、国の状況によって別の意味を持った例である。
後世への影響
20世紀の詩と、それを論じる理論は、ほとんどここから出発している。意味を伝えるより言葉そのものの働きに賭けるという姿勢は、モダニズムの詩、そして定型を離れた自由詩へと受け継がれた。言葉が指し示す道具であることをやめ、言葉として自立するという象徴主義の到達点は、のちに言語そのものを問う20世紀の文学理論の出発点にもなった。