ドクトル・ジバゴ

原題
Doktor Zhivago
作者
ボリス・パステルナーク
成立
1957
ロシア
時代
ソヴィエト期

概要

1957年にイタリアで初めて刊行された長篇小説である。ロシアの詩人パステルナークが、生涯で唯一書いた長篇にあたる。

主人公ユーリー・ジバゴは、医師であり詩人でもある。物語は、20世紀初頭から、第一次大戦、二月革命、十月革命、内戦、そしてその後までの激動の時代を背景に、その生涯を追う。

歴史の大事件が次々に起こるが、この小説はそれを英雄の物語としては描かない。ジバゴは革命の担い手でも反革命の闘士でもなく、時代の波に翻弄される一個人である。守ろうとするのは、思想や大義ではなく、私的な生活、愛、詩を書くことである。

作品の末尾には、ジバゴが書いたとされる二十五篇の詩が付されている。小説の本体と、その主人公の詩集が一体になっている構成をとる。

パステルナークは1890年、モスクワの芸術家の家に生まれた。革命前から詩人として高い評価を得ていた。革命後のソ連では、その難解な詩と非政治的な姿勢が問題視されつつも、翻訳の仕事などで生き延びた。

この小説の構想は長く、執筆は1945年から1955年にかけて行われた。完成後、ソ連の雑誌に持ち込んだが、革命を否定的に描いているとして掲載を拒否された。

パステルナークは原稿をイタリアの出版者フェルトリネッリに託した。当局は刊行を阻止しようとしたが、1957年、イタリアで刊行される。たちまち各国語に訳され、世界的な話題作になった。

1958年、パステルナークはノーベル文学賞に選ばれる。だがソ連当局は激しく反発し、作家同盟から除名し、国外追放をほのめかして圧力をかけた。パステルナークは受賞の辞退を強いられる。 ソ連にとどまることを望み、フルシチョフに手紙を書いて出国しない意思を示した。失意のうちに、二年後の1960年に死去した。

冷戦下では、この作品は政治的に利用された。近年、アメリカのCIAが、ソ連で発禁のこの小説をロシア語で印刷し、東側に持ち込む工作を行っていたことが公文書で明らかになっている。文学作品が、冷戦の道具になった例である。

ソ連でこの小説が正式に刊行されたのは1988年である。

文学史における評価と影響

ソ連体制と文学の関係を象徴する作品として、文学史に位置を占める。作品そのものの評価と、それをめぐる事件——発禁、ノーベル賞辞退、冷戦下の利用——が分かちがたく結びついている。

作品の主題は、歴史と個人の関係にある。革命という巨大な力が、個人の生活と愛を押し流していく。ジバゴは、その力に抵抗する英雄ではない。ジバゴが体現するのは、大義のために個を犠牲にすることへの静かな拒否である。 私的な生、詩、愛といった、革命が軽んじたものの価値を、この作品は擁護する。この姿勢が、ソ連の公式の文学観と相容れなかった。

同時に、作品は反革命の宣伝ではない。ジバゴは当初、革命に共感する。作者が批判するのは、理想そのものではなく、それが人間の生活を無視した統制に変わっていくことである。

文体としては、詩人の書いた小説であることが随所に現れる。自然描写の豊かさ、偶然の出会いの多用、そして末尾の詩集。散文と詩を一つの作品として結ぶ構成は、19世紀ロシア小説の系譜にありながら、独自の形をとる。

1965年、デヴィッド・リーンが映画化した。この映画が世界的にヒットし、原作より映画で作品を知る人が多くなった。「ラーラのテーマ」の旋律とともに、悲恋の物語として広く記憶されている。

日本でも訳が読める。歴史的な背景の知識があると読みやすい。

あらすじ

ユーリー・ジバゴは幼くして両親を失い、モスクワの知識人の家庭に引き取られて育つ。医学を修め、詩才も認められる。育ての家の娘トーニャと結婚する。

一方、ラーラという女性の生が並行して語られる。少女期に、母の愛人でもある弁護士コマロフスキーに誘惑され、その関係に苦しむ。後に革命家パーシャと結婚する。

第一次大戦が始まる。ジバゴは軍医として前線に赴き、そこで看護婦として働くラーラと出会う。二人は互いに惹かれるが、この時は別れる。

革命が起こる。ジバゴは当初、革命を歴史の必然として受け止め、その理想に共感する。だが内戦が進むにつれ、暴力と統制が生活のすべてを覆っていく。モスクワでの暮らしが立ち行かなくなり、一家はウラルの田舎へ移る。

その地で、ジバゴはラーラと再会する。二人の愛が深まる。だがジバゴは、赤軍のパルチザンに強制的に軍医として連れ去られ、長く家族と引き離される。脱走して戻ったときには、妻子は国外へ去っていた。

ジバゴとラーラは、雪に閉ざされた別荘で、束の間の時を過ごす。だが、追っ手が迫る。ラーラを守るため、ジバゴは、かつてラーラを苦しめたコマロフスキーにその身を託して逃がす。愛する者を、憎むべき男に委ねて手放す。 二人は永遠に別れる。

ジバゴはモスクワに戻る。かつての才気を失い、詩を書きながら困窮のうちに暮らす。ある日、路面電車の中で発作を起こし、通りに降りて倒れ、死ぬ。

その葬儀に、ラーラが偶然に立ち会う。ラーラもまた、その後まもなく街頭で姿を消し、収容所で死んだものと語られる。物語は、ジバゴの遺した詩集で閉じられる。

作者

登場する文学史