日本近世

日本文学 近世

通史では、この時代を「読者が町人になる」と要約した。ここではその中身を開く。

近世文学を理解する鍵は、文学の内側ではなく外側にある。出版が商売として成立したことである。

それまで、書物は写本だった。作るのに手間がかかり、数が出ず、読むのは貴族や僧侶や武士に限られていた。江戸時代に入ると木版印刷による商業出版が確立し、本屋が生まれ、貸本屋が回り、町人が金を払って本を買うようになる。

買い手が変われば、売れるものが変わる。 この時代の文学の性格は、ほぼこの一点から説明できる。

何が変わったか

中世まで近世
読者貴族・僧侶・武士町人(商人・職人)
主題無常・信仰・戦金・色・義理人情
流通写本商業出版・貸本屋
書き手身分ある者・隠者職業作家が現れる

三つ目と四つ目が重要である。書いて食える人間がこの時代に現れた。

井原西鶴 — 金と色の人間

井原西鶴はもともと俳諧師だった。一昼夜に何句詠めるかを競う興行で、二万三千五百句を詠んだという記録がある。速度そのものを芸にするという発想の持ち主である。

その速度を散文に持ち込んだのが好色一代男(一六八二年)で、浮世草子と呼ばれる新しいジャンルを開いた。主人公が七歳から六十歳まで、女性遍歴を重ねて最後は女護島へ船出する。

だが西鶴の本領は恋愛ではない。『日本永代蔵』『世間胸算用』では、主題が完全に経済になる。 どうやって金を貯めたか、どうやって破産したか、大晦日の借金取りをどう追い返すか。

人間を、金の動きを通して観察する。 文体は短く、切り詰められ、感傷がない。この突き放した視線は、十九世紀のフランスでバルザックがやったことと主題の面で重なる。もちろん直接の関係はないが、商業社会が成熟すると文学が金を主題にするという点は共通している。

松尾芭蕉 — 俳諧を芸術にする

松尾芭蕉がやったのは、格下の遊びを芸術に変えるという仕事である。

俳諧はもともと連歌の余興だった。滑稽と言葉遊びを旨とし、和歌のような格式はない。その発句(第一句)を独立させ、十七音で世界を切り取る形式にまで高めた。

彼は中世西行を強く意識していた。旅をし、世を捨て、風雅に生きる。過去の隠者の系譜に自分を接続することで、俳諧に精神的な重みを与えた。

おくのほそ道(一七〇二年刊)は紀行文である。ただし事実の記録ではない。

同行した弟子の曾良が別に日記を残しており、両者を比べると日付・経路・出来事が食い違う。芭蕉は構成のために事実を動かしている。旅を素材にして作られた作品であって、旅行記ではない。

この点は誤解されやすいので押さえておきたい。「ありのままを書いた」のではなく、虚構を組み込んだ作品である。

その後、与謝蕪村が絵画的な句を、小林一茶が生活と生き物への眼差しを持ち込み、俳諧の幅を広げた。

近松門左衛門 — 事件が一月後に舞台になる

近松門左衛門は人形浄瑠璃と歌舞伎の脚本を書いた。

曾根崎心中(一七〇三年)の成立経緯が、この時代の文学の性格をよく表している。実際に起きた心中事件を、事件の約一月後に舞台化した。

同時代の事件を即座に作品にして興行にかける。この速さは、現代のメディアに近い。 そして上演は大当たりし、以後心中物が流行して、幕府が心中を扱った作品を規制するに至る。

彼の作品の核にあるのは義理と人情の相剋である。守るべき義理があり、抗えない情がある。両立しないから人が死ぬ。フランス古典主義の悲劇が義務と情念の対立を描いたのと構図が似ているが、こちらは町人が主人公である。

読本と、爛熟

十八世紀後半から、より複雑な小説が現れる。

[[ueda-akinari]][[ugetsu-monogatari]](一七七六年)は怪異譚の連作である。中国の白話小説や日本の古典を下敷きにしつつ、格調の高い擬古文で書かれている。死者が現れ、執念が形をとる。単なる怪談ではなく、人間の妄執を主題にした短篇集として読まれてきた。

[[takizawa-bakin]][[nanso-satomi-hakkenden]](一八一四〜一八四二年)は、二十八年をかけて完成した大長篇である。八つの玉を持つ八人の犬士が集結する。勧善懲悪の構造が明確で、この「勧善懲悪」こそ、[近代](/japan/kindai/)の[[tsubouchi-shoyo]]が否定した対象である。

一方で十返舎一九『東海道中膝栗毛』のような滑稽本が大衆的な人気を得た。同じ時期に、重厚な長篇と軽い笑いの本が並立している。

学問 — 古典の読み直し

文学作品と並んで、この時代には国学が起こる。

本居宣長は三十数年をかけて古事記の注釈『古事記伝』を完成させた(上代の項参照)。読めなくなっていた古代の文章を、実証的に読み解く仕事である。

文学史上さらに重要なのは、彼の源氏物語論である。それまでこの物語は、儒教・仏教の枠組みで「淫らな話だが教訓がある」と弁護されてきた。宣長はそれを退け、この物語は「もののあはれ」を書いたものだと論じた。

道徳の道具ではなく、人の心が動くさまそのものを描いたのが文学である——作品を文学として読むというこの主張は、日本の文学批評の出発点の一つとされる。

この時代をどう読むか

中身
出版が主題を決めた町人が買うから、金と色と義理人情が書かれた
職業作家の登場書いて食う人間が現れた
速さ心中事件が一月で舞台になる興行の速度
古典の再読本居宣長が文学を文学として読む道を開いた

そして一八六八年、明治維新。ここで日本文学は上代以来二度目の、外から来たものを取り込んで自分を作り変える作業に入る。今度入ってくるのは文字ではなく、西洋の小説とその文体である。

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