スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
- 原綴
- Светлана Алексиевич
- 生没
- 1948–
- 出身
- スタニスラフ(当時ソ連領・現ウクライナ西部イヴァーノ=フランキーウシク)
- 国
- ロシア
- 時代
- 現代
生涯
1948年、当時ソ連領だったウクライナのスタニスラフ(現在のイヴァーノ=フランキーウシク)に生まれた。父はベラルーシ人、母はウクライナ人である。まもなく父の故郷のベラルーシに移り、そこで育った。
大学でジャーナリズムを学び、地方の新聞で記者として働いた。この経験が、後の証言に基づく文学の基礎になる。
作家ビコフらの影響を受けながら、独自の方法を模索した。無数の普通の人々に取材を重ね、その語りを集めて構成する、という方法である。
1985年、最初の著作『戦争は女の顔をしていない』を発表した。第二次大戦に兵士として参加したソ連の女性たちの証言を集めたものである。ソ連では戦争は英雄的な勝利の物語として語られてきたが、この本にあるのはそれとまったく違う戦争だった。当初は批判も受けたが、ペレストロイカのなかで広く読まれるようになる。
以後、ソ連の重大な出来事を証言によって記録する一連の作品を発表した。アフガニスタン戦争、チェルノブイリの原発事故、そしてソ連崩壊。
政治的にはベラルーシのルカシェンコ政権を批判し続けた。そのため一時、国外での亡命生活を余儀なくされている。
2015年にノーベル文学賞を受賞した。小説でも詩でもない、取材に基づく著作への受賞として注目された。
作風
アレクシエーヴィチの方法は、無数の人々の証言を集めて構成することにある。
一つの主題について、何百人もの普通の人々に取材する。兵士、母親、労働者、子ども。その語りを丹念に記録し、編集して一冊に組み立てる。作者自身の言葉は最小限に抑えられ、本文の大部分は証言者の声そのままでできている。
この方法によって捉えようとするのは、公式の歴史からこぼれ落ちるものである。政治家や将軍の物語ではなく、その出来事を実際に生きた無名の人々が何を見て何を感じたか。本人はこれを「感情の歴史」「魂の歴史」と呼んだ。
『戦争は女の顔をしていない』がその典型である。語られるのは戦果ではなく細部だった。血の匂い。初めて人を殺したときの感覚。女性であるために受けた屈辱。戦後、従軍していたことを隠して生きなければならなかったこと。公式の記録には決して残らないこれらの証言が、戦争の別の面を明らかにする。
『チェルノブイリの祈り』は原発事故を被害者の証言から描く。消防士の妻、避難させられた住民、事故処理にあたった作業員。冒頭に置かれた、被曝した夫を看取った妻の語りは、事故の性質を数値よりも正確に伝えるものとして読まれてきた。
一つの声だけでは断片にすぎない。だが同じ出来事について、兵士と母と看護婦がそれぞれ別のことを語り、その食い違いごと並べられる。何百も集まったところで、一人の証言では見えなかった全体の形が読者の側に立ち上がる。
作品
『戦争は女の顔をしていない(У войны не женское лицо)』(1985年)
第二次大戦を戦ったソ連の女性たちの証言集である。代表作にあたる。
『ボタン穴から見た戦争(Последние свидетели)』(1985年)
当時子どもだった人々の記憶から第二次大戦を記録する。
『亜鉛の少年たち(Цинковые мальчики)』(1989年)
アフガニスタン戦争で死んだ兵士の母親たちと帰還兵の証言を集める。題名は、遺体が亜鉛の棺で送り返されたことによる。
『チェルノブイリの祈り(Чернобыльская молитва)』(1997年)
原発事故の被害者の証言による記録である。
『セカンドハンドの時代(Время секонд хэнд)』(2013年)
ソ連崩壊後の人々の喪失と混乱を描く。
これらの作品はあわせて「ユートピアの声」という連作をなしている。
日本語では主要作の多くが訳されている。
文学史における立ち位置と影響
2015年のノーベル文学賞は、文学という言葉の範囲を広げるものだった。
小説ではなく、実在の人々の証言を集めて構成した著作への受賞は画期的だった。何が文学かという問いを改めて突きつけることになる。
その方法は独自のジャンルを切り開いた。ジャーナリズムと文学の境目にありながら、単なる記録ではない。膨大な証言のうち何を選び、どう並べるかという作業のなかに、明確な構成の意志がある。多くの声を並べるこの形式は、20世紀後半の記録文学の到達点の一つとされる。
「感情の歴史」という視点は、歴史の見方そのものを変えるものである。政治や経済として書かれる公式の歴史の裏に、無数の名もない人々の感情の歴史がある。この下からの視点が、20世紀の巨大な災厄を人間の側から捉え直す。
ベラルーシの作家であることも、その位置を特徴づける。ロシア語で書きながらベラルーシに生き、その政権を批判し続けた。国家と作家の緊張という、ロシア・ソ連文学の一貫した主題が、現代にも続いていることを示している。
日本での受容は、ノーベル賞受賞を機に大きく進んだ。とくに『チェルノブイリの祈り』は、原発事故を経験した日本で深く読まれている。