ロシア文学 ソヴィエト期
通史では、この時代を「三つの回路」と要約した。ここではその中身を開く。
この七十年の文学は、刊行された本のリストからは見えない。
理由は単純である。重要な作品の多くが、書かれた時代に発表されていない。 数十年後に出たもの、国外でしか出なかったもの、作者の死後に出たものが並ぶ。
三つの回路
作品がどこを通ったかで、三つに分けられる。
公式出版。 国内で検閲を通って刊行されたもの。
サミズダート(自主出版)。 タイプライターで打ち、カーボン紙で複写し、手渡しで回す。持っているだけで罪に問われうる。
タミズダート(国外出版)。 原稿を国外へ持ち出して刊行する。作者は残るので、報復を受ける。
同じ一人の作家が、三つの回路すべてを使うことがある。 この構造を知らないと、たとえばボリス・パステルナークが「ソ連の作家」なのかどうかが分からなくなる。
社会主義リアリズム
一九三四年、社会主義リアリズムが公式の創作方法として定められた。
要求はおおむね次のものである。分かりやすい形式で、党の路線に沿って、社会が良くなる方向を描く。 労働者や党員を肯定的な主人公として造形する。
作家同盟に属さなければ発表の場がなく、除名は職業生活の終わりを意味した。
この枠内で書かれた作品の多くは今日読まれない。ただし例外はある。ミハイル・ショーロホフの静かなドンは、ドン・コサックの村を舞台に、内戦で両陣営の間を揺れ動く男を描いた。赤軍側を一方的に正当化していない。 一九六五年にノーベル文学賞を受けたが、著作権をめぐる論争が長く続いた。
発表されなかった作品
エヴゲーニイ・ザミャーチンのわれら(一九二〇〜二一年執筆)は、ガラスの都市で全員が番号で呼ばれ、生活が時間表で管理される社会を描く。ソ連で刊行されたのは一九八八年である。 国外では早くから読まれ、ジョージ・オーウェルの一九八四年とオルダス・ハクスリーのすばらしい新世界の系譜に置かれる。作者は一九三一年に出国を認められ、パリで没した。
ミハイル・ブルガーコフの巨匠とマルガリータは、悪魔がモスクワに現れる話と、ピラトがイエスを裁く話を交互に進める。一九四〇年の作者の死後、二十六年たって、しかも削除された形で発表された。 「原稿は燃えない」という作中の台詞が、この作品自体の運命として引かれる。
アンドレイ・プラトーノフの作品は、革命の理想を信じる言葉づかいのまま、その理想が人間をすり潰していく過程を書く。文体そのものが壊れているように見える。 主要作の刊行はやはり数十年後になった。
収容所を書く
アレクサンドル・ソルジェニーツィンのイワン・デニーソヴィチの一日は、囚人の一日を淡々と追う中篇である。一九六二年、フルシチョフの承認を得て公式に刊行された。 スターリン批判の時期に限って可能になった出版であり、この一冊がソ連社会に与えた衝撃は大きい。
その後、彼は収容所群島を書く。二百人以上の証言と自身の経験をもとに、収容所制度の全体を記述した。国外で刊行され、一九七四年に国籍を剥奪されて追放された。
ワルラーム・シャラーモフの『コルイマ物語』は、極北の金鉱での経験を短篇の連なりで書く。ソルジェニーツィンと違い、収容所に意味や救済を認めない。 人間は簡単に壊れる、と書く。二人の姿勢の違いは、証言文学のあり方をめぐる論点として繰り返し扱われる。
亡命と受賞
ボリス・パステルナークのドクトル・ジバゴは国内で刊行を拒まれ、一九五七年にイタリアで出た。翌年ノーベル文学賞に選ばれるが、当局の圧力によって受賞を辞退している。
ヨシフ・ブロツキーは「社会的寄生」の罪で流刑にされ、一九七二年に国外追放された。アメリカで英語でも書き、一九八七年にノーベル文学賞。
二十世紀のロシア語作家のノーベル賞受賞者は五人で、イワン・ブーニン・ボリス・パステルナーク・ミハイル・ショーロホフ・アレクサンドル・ソルジェニーツィン・ヨシフ・ブロツキー。このうち国内で平穏に受け取れたのは一人だけである。
この時代をどう読むか
| 中身 | |
|---|---|
| 三つの回路 | 公式出版・サミズダート・国外出版。刊行年が書かれた年と一致しない |
| 公式の方法 | 社会主義リアリズムが創作の要件として制度化された |
| 証言の二つの型 | アレクサンドル・ソルジェニーツィンとワルラーム・シャラーモフは収容所の意味づけで対立する |
| 受賞という事件 | ノーベル賞が国家との衝突の場になった |
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