イワン・ツルゲーネフ

白いあごひげをたくわえ、肘掛け椅子に座るイワン・ツルゲーネフの油彩肖像画。
イリヤ・レーピン筆(1874年)
原綴
Иван Тургенев
生没
1818–1883
出身
オリョール
ロシア
時代
黄金時代

生涯

1818年、オリョールの富裕な地主の家に生まれた。母は数千人の農奴を持つ領主で、専横な人物として伝えられる。農奴への虐待を目の当たりにして育ったことが、後の作品の背景にある。

モスクワ大学、ペテルブルク大学で学び、1838年にベルリンへ留学した。ここで西欧の思想と制度に触れ、生涯にわたる西欧派の立場を固めている。

1852年、『猟人日記』を刊行した。同じ年、ゴーゴリの死に際して書いた追悼文を口実に逮捕され、領地に軟禁される。

1843年に知り合った歌手ポーリーヌ・ヴィアルドーへの傾倒が生涯続いた。その一家と同居に近い形で暮らし、独身のまま生涯を終えている。1860年代以降は生活の拠点をバーデン=バーデン、次いでパリに移した。

1862年の父と子は、保守派と急進派の双方から攻撃された。この反響に打ちのめされ、ロシアで過ごす時間はさらに減っていく。

晩年はパリの文壇の一員として遇され、1883年、パリ近郊で64歳で死去した。遺体はペテルブルクに運ばれて埋葬された。

作風

ツルゲーネフの小説は、構成が均整のとれた短いものが多い。トルストイドストエフスキーの長篇とは対照的で、「小説家の中の小説家」と呼ばれることがある。西欧の小説の技法を早くから吸収していたことによる。

主題は、時代の転換期に置かれた人間である。とくに、語る能力はあるが行動できない知識人を繰り返し書いた。『ルーヂン』の主人公がその典型で、この人物像は「余計者」と呼ばれ、19世紀ロシア文学の一つの類型になった。

告発の調子をとらない。『猟人日記』は、狩りに出た地主が各地で出会う農民たちを描いた連作だが、制度を非難する言葉は出てこない。農民が一人ずつ、性格と生活を持った個人として書かれるだけである。当時のロシアで農奴は財産として売買される存在だった。同じ時期にゴーゴリ死せる魂が扱ったのもその制度である。この作品は、農奴が地主と同じ人間であることを、説教せずに示した。

自然描写にも定評がある。風景を人物の心情の説明として使うのではなく、独立した対象として細かく書く。この描写が、後に日本語の文体に影響することになる。

作品

『猟人日記』(1852年)

農民を個人として描いた短篇の連作である。刊行当時、検閲を通ったこと自体が問題視され、担当官が解任された。後の皇帝アレクサンドル二世が農奴解放(1861年)を決意する一因になったと伝えられるが、この逸話がどこまで事実かは確定していない。

『ルーヂン』(1856年)

雄弁だが何も成し遂げられない知識人を主人公にする。

『初恋』(1860年)

16歳の少年が恋した年上の女性が、父の愛人だったという中篇である。日本では最も広く読まれている作品にあたる。

父と子(1862年)

代表作である。1840年代の教養ある貴族である父の世代と、医学生バザーロフに代表される子の世代が対置される。バザーロフは自らを「ニヒリスト」と称し、芸術も伝統も権威も否定して、科学と実証だけを認める。「ニヒリスト」という語が広まったのは、この作品による。だが小説はその否定を貫かせない。バザーロフは一人の女性に恋し、自分が否定していたはずの感情に動かされる。そして解剖中の傷から感染し、あっけなく死ぬ。

この結末をめぐって評価が割れた。保守派は危険な思想の若者を美化していると批判し、急進派は新しい世代を戯画化して殺したと批判した。作者はバザーロフに共感していたのかという問いは、今も議論が続いている。

『散文詩』(1882年)

晩年の短章集である。

文学史における立ち位置と影響

ツルゲーネフは、ロシア文学を西欧へ紹介した窓口だった。パリでフローベールゾラモーパッサンジョルジュ・サンドらと親交を結び、彼らにとってロシア文学への通路になった。トルストイドストエフスキーが西欧で読まれるようになる過程には、この紹介が働いている。同時に、西欧の文学的な洗練をロシアへ持ち帰る役も果たした。

その三人の関係は険悪だった。トルストイとは口論の末に決闘寸前まで行き、17年間絶交している。晩年に和解し、死の床からトルストイに「文学に戻ってくれ」と手紙を書いたという逸話が伝わる。トルストイが宗教的な転回によって小説を書かなくなっていた時期である。ドストエフスキーとも対立し、ドストエフスキーは『悪霊』のなかで、西欧かぶれの俗物作家としてツルゲーネフを戯画化した人物を登場させた。背景には西欧派とスラヴ派の思想的な対立がある。

短篇小説の書き手としての影響も大きい。チェーホフ、そして英語圏の作家たちが、その構成と抑制を手本にした。

日本では特別な位置にある。二葉亭四迷が訳した『あひゞき』『めぐりあひ』——前者は『猟人日記』の一篇——が、日本語の自然描写を変えた。島崎藤村国木田独歩がこの訳文から受けた衝撃を証言している。日本の近代小説の文体は、ツルゲーネフの翻訳を経由して成立した部分がある。

作品

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