アレクサンドル・ソルジェニーツィン

原綴
Александр Солженицын
生没
1918–2008
出身
キスロヴォツク
ロシア
時代
ソヴィエト期

生涯

1918年、革命の翌年に生まれた。ロストフ大学で数学と物理を学び、教師になった。第二次大戦には砲兵将校として従軍する。

1945年、前線から友人に宛てた手紙のなかで、スターリンを暗に批判したことが摘発され、逮捕された。以後八年間、強制収容所(ラーゲリ)で過ごす。この体験が、生涯の主題のすべてを決めた。刑期を終えた後も、数年間、流刑地での生活を強いられた。この間に癌を発症し、奇跡的に回復している。

流刑を解かれた後、教師として働きながら、収容所の体験を書き続けた。1962年、フルシチョフの雪解けの時期に、中篇イワン・デニーソヴィチの一日が、当局の許可を得て発表された。ソ連で、収容所の実態を公然と描いた作品が公刊されたのは、初めてのことだった。大きな反響を呼ぶ。

だが、雪解けが終わると、状況は暗転した。ソルジェニーツィンの作品は、再び発表を禁じられる。彼は、地下で書き続け、原稿を国外へ密かに送った。

1970年、ノーベル文学賞を受賞する。だが、受賞のためにモスクワを離れれば帰国できなくなることを恐れ、授賞式には出席しなかった。

1973年、大著収容所群島が、国外で刊行された。ソ連の強制収容所の全体像を、無数の証言に基づいて描いたこの書物は、世界に衝撃を与えた。翌1974年、ソルジェニーツィンは逮捕され、国外へ追放される。

以後、二十年間を西側で亡命者として過ごした。だが、西側の物質主義や退廃にも批判的で、孤高の姿勢を貫いた。ソ連崩壊後の1994年、ロシアへ帰国する。2008年、八十九歳で死去した。

作風

ソルジェニーツィンが書いたのは、ソ連の強制収容所の現実である。

その方法は、証言に基づく。自らの体験と、無数の元囚人たちの証言を、克明に記録する。誇張も、感傷もない。収容所で、人が実際にどう生き、どう死んだかを、事実として積み上げる。

イワン・デニーソヴィチの一日は、その原型である。一人の平凡な囚人、イワン・デニーソヴィチの収容所でのごく普通の一日を描く。特別な事件は起きない。厳寒のなかの労働、わずかな食事、点呼、そして、その日を無事に終えられたことへのささやかな満足。この一日の克明な描写を通じて、収容所という制度の全体が、浮かび上がる。悲惨を叫ぶのではなく、日常として淡々と描くことで、かえってその非人間性が、強く迫る。

収容所群島は、その方法を、巨大なスケールで展開する。逮捕、取り調べ、移送、収容所での生活、そして死。ソ連の抑圧の機構の全体を、二百人を超える証言者の記憶に基づいて再構成する。副題に「文学的考察の試み」とあるように、これは、歴史書であると同時に、一個の文学作品でもある。皮肉と怒りに満ちた語り口が、膨大な事実を貫いている。

道徳的・宗教的な確信が、その根底にある。ソルジェニーツィンは、単に体制を告発するだけでなく、善と悪をめぐる、根源的な問いを立てる。善悪を分ける線は、国家や階級のあいだにではなく、一人ひとりの人間の心のなかを通っている、という認識が、その中心にある。

作品

イワン・デニーソヴィチの一日(1962年)

収容所の一日を描いた中篇である。ソ連で公刊された、最初の収容所文学にあたる。

『ガン病棟』(1968年、国外刊行)

癌病棟を舞台に、様々な患者を通じて、スターリン時代の社会を描く。

『煉獄のなかで(第一圏)』(1968年、国外刊行)

科学者の囚人たちが働く特別な収容所を描く長編である。

収容所群島(1973〜75年、国外刊行)

主著である。ソ連の強制収容所の全体像を描いた、記録文学の記念碑にあたる。

『赤い車輪』

ロシア革命の起源を探る、未完の巨大な歴史小説である。

日本語では『イワン・デニーソヴィチの一日』と『収容所群島』が読める。

文学史における立ち位置と影響

ソルジェニーツィンは、20世紀の体制と文学の対決を、最も先鋭な形で体現した作家である。

収容所群島の歴史的な意義は、計り知れない。この書物は、ソ連の抑圧の実態を、動かしがたい事実として、世界に突きつけた。西側の知識人のなかにあった、ソ連への幻想を打ち砕く、決定的な役割を果たした。文学作品が、一つの体制の正当性を揺るがすという、まれな例にあたる。

証言文学の系譜のなかに位置づけられる。同じ収容所の体験を書いたシャラーモフとは、しばしば対比される。ソルジェニーツィンが、収容所のなかにも人間の尊厳と道徳の可能性を見出したのに対し、シャラーモフは、収容所が人間を完全に破壊すると書いた。この対比は、極限状況における人間をめぐる、二つの立場を示している。ホロコーストを書いたプリーモ・レーヴィとも、並べて論じられる。

亡命作家としてのその後の姿勢も、議論を呼んだ。西側の自由主義と物質主義をも批判し、ロシアの精神的な伝統への回帰を説いた。この保守的でナショナリスティックな立場は、単純な反体制の英雄という像に収まらない、複雑さを持つ。

日本での受容は、イワン・デニーソヴィチの一日と『収容所群島』を中心に、広く進んだ。冷戦下の東側の実態を伝える証言として、また、極限における人間を描いた文学として読まれてきた。

作品

登場する文学史