罪と罰

原題
Prestuplenie i nakazanie
作者
フョードル・ドストエフスキー
成立
1866
ロシア
時代
黄金時代

概要

1866年、雑誌『ロシア報知』に一年かけて連載された長篇小説である。全六部とエピローグからなる。

主人公は、金が続かず大学をやめたラスコーリニコフという二十三歳の青年で、ペテルブルグの屋根裏部屋に住んでいる。高利貸の老婆を斧で殺し、居合わせたその妹も殺す。作品の大半は、殺人そのものではなく、殺したあとの十四日ほどに費やされる。事件の捜査、家族の来訪、街での出会いが並行して進み、そのすべてが主人公の追い詰められ方に関わってくる。

犯行の動機は一つに定まらない。金のためだという説明も、母と妹を助けるためだという説明も作中に出てくるが、主人公自身が最も重く見ているのは別の考えである。人間には凡人と非凡人がいて、非凡人は新しい言葉をもたらすために既存の法を踏み越える権利を持つ、という論文を主人公は書いていた。殺人は、その理屈が自分に当てはまるかどうかを確かめる試みでもあった。

語りは三人称だが、視点はほぼ主人公に貼りついている。熱に浮かされた意識、通行人への異常な注意、独り言と対話の区別がつかない状態が、地の文に流れ込む。

執筆の直接のきっかけは金だった。1865年、ドストエフスキーは借金を抱えて国外にいた。出版者に、期限までに新作を渡せなければ以後九年の著作権を無償で譲るという不利な契約を結んでいる。当初は酒場で身を持ち崩す男の話として「酔いどれたち」という作品を構想しており、その素材はマルメラードフ一家として本作に残った。

書き始めは一人称の手記の形だった。犯人自身が事件を書き残す形式で、途中でこれを破棄し、三人称に改めている。手記の形では、犯行後の主人公が机に向かって書いているという不自然さが避けられないためだったと考えられている。

連載中の1866年、別の出版者との契約を果たすために、並行して別の長篇を短期間で仕上げる必要が生じた。速記者アンナ・スニートキナを雇って口述で書き上げ、まもなく結婚している。

同じ時期、ロシアでは実際に類似の事件が報じられていた。作中でも、事件を扱う新聞記事が繰り返し言及される。

文学史における評価と影響

殺人を犯した人物の内面を、犯行の前後にわたって長篇の全体で追う。この構成そのものが新しかった。捜査は物証によっては進まず、予審判事は相手の心理を追い詰めることだけを手段にする。犯罪小説の外形を持ちながら、解かれるべき謎は誰が殺したかではなく、なぜ耐えられないのかに置かれている。

主人公の理屈は、当時のロシアで論じられていた思想と結びついている。1860年代には、既存の道徳や制度を理性の名で否定する急進的な議論が広がっていた。ドストエフスキーはこれを危険と見ており、理屈の正しさだけで人を殺す論理がどこまで行くかを、この作品で試している。同時に、その理屈を主人公に十分な説得力をもって語らせているため、作品は反駁の書として単純には読めない。

複数の人物が、それぞれ譲らない声で自分の理屈を語り続ける書き方は、後にミハイル・バフチンがポリフォニー(多声性)と名づけた。作者の声が人物の上に立たず、対等な声が並ぶという指摘で、20世紀の小説論に大きな影響を与えた。

日本では明治期に紹介され、内田魯庵による英訳からの重訳が1892年に出ている。漱石以後の作家に広く読まれ、小林秀雄ドストエフスキイの生活をはじめ、批評の主題としても繰り返し扱われてきた。

エピローグの扱いは、今日も議論が分かれる。回心を描いた結末を作品全体と釣り合わないと見る立場と、それがなければ題名の「罰」が完結しないと見る立場がある。

あらすじ

第一部。七月のペテルブルグ。家賃を滞納した元学生ラスコーリニコフは、質草を持って高利貸のアリョーナのもとを訪ね、部屋の構造と時間を頭に入れる。居酒屋で、酔いどれの元官吏マルメラードフから身の上を聞かされる。娘のソーニャは、家族を養うために娼婦として登録された。母からの手紙で、妹ドゥーニャが家族のために意に沿わぬ結婚をしようとしていることを知る。ある夜、老婆が一人になる時刻を偶然に知り、斧を持って部屋を訪れて殺す。予定外に戻ってきた妹のリザヴェータも殺す。盗んだ品はろくに調べもせず、石の下に隠す。

第二部。高熱で寝込む。警察署に呼ばれるが、用件は家賃の借用証だった。それでも事件の話題が出た瞬間に気を失う。マルメラードフが馬車に轢かれて死に、ラスコーリニコフはわずかな金を葬儀に差し出し、ソーニャと知り合う。

第三部。母と妹が上京する。ドゥーニャの婚約者ルージンは、貧しい娘を恩に着せて娶ろうとする男で、ラスコーリニコフは追い返す。予審判事ポルフィーリイに会い、雑誌に載った非凡人の論文について問い詰められる。証拠はないが、ポルフィーリイは相手を追い込む方法だけで攻めてくる。

第四部。妹に言い寄っていた地主スヴィドリガイロフが現れる。妻を殺した疑いのある男で、欲望のままに生き、良心の呵責を持たない。ラスコーリニコフはソーニャの部屋を訪ね、聖書のラザロの復活の箇所を読ませる。ポルフィーリイとの二度目の対決の最中、塗装工のミコールカが自分がやったと名乗り出て、その場は流れる。

第五部。ルージンは、ソーニャに紙幣を盗ませたように見せかけて陥れようとし、その場で見破られる。ラスコーリニコフはソーニャに殺人を告白する。ソーニャは、大地に接吻し、四つ辻で自分が人殺しだと叫び、それから自首するよう求める。

第六部。ポルフィーリイは証拠のないまま訪ねてきて、犯人はあなただと告げ、自首すれば刑が軽くなると勧めて帰る。スヴィドリガイロフは、壁越しに告白を聞いていたことを明かしてドゥーニャを脅すが、拒まれると解放し、ソーニャや遺児たちに金を残し、翌朝ピストルで自殺する。ラスコーリニコフは母に別れを告げ、広場の土に接吻し、警察署で自白する。

エピローグ。シベリア流刑八年。ソーニャは同行して近くの町に住み、面会に通う。ラスコーリニコフは服役中も自分の理屈を捨てられず、失敗したのは自分が凡人だったからだと考え続ける。復活祭ののち病床で、世界に疫病が広がり、誰もが自分だけが真理を持つと信じて殺し合う夢を見る。回復した日、川辺でソーニャに歩み寄り、二人は泣く。更生の過程そのものは書かれず、それは別の物語だという一文で閉じられる。

作者

登場する文学史