ロシア黄金時代

ロシア文学 黄金時代

通史では、この時代を「小説が思想の場になった」と要約した。ここではその中身を開く。

十九世紀のロシアで何が起きたのかは、それ自体が問いである。 前の世紀までほとんど蓄積のなかった国から、フョードル・ドストエフスキーレフ・トルストイが同時期に出た。

説明は一つに定まらないが、繰り返し挙げられる条件がある。

なぜこの密度が生まれたか

議論の場が文学しかなかった。 議会も政党も自由な新聞もない。社会をどうすべきかという議論は、小説と批評の中で行われた。 だから小説が思想の重さを引き受ける。西欧の小説が娯楽と教養の産物でもあったのに対し、ロシアでは小説を書くことが政治的な行為だった。

巨大な矛盾が目の前にあった。 農奴制は一八六一年まで続く。西欧化した貴族と、生活が変わらない農民。この落差そのものが主題になる。

遅れて始まったことが有利に働いた面もある。 西欧の小説の技法を、蓄積された状態でまとめて受け取れた。

検閲は、逆説的に文体を鍛えた。 直接書けないことを、寓意と細部で書く技術が発達した。

プーシキン — 出発点

アレクサンドル・プーシキンは、ロシア文学のほとんどすべての出発点に置かれる。

エヴゲーニイ・オネーギン(一八二五〜三二年)は韻文で書かれた長篇小説である。特殊な脚韻構成(オネーギン・スタンザ)を全篇にわたって用い、社交界に倦んだ青年と、彼を愛して拒まれ、後に再会したときには立場が逆転している女性を描く。

軽さと深刻さが同居している。 語り手が脱線し、読者に話しかけ、しかし人物の運命は容赦がない。

彼の功績は主題より言語にある。話し言葉と文章語、俗語と雅語を自在に往復する文体を作った。以後のロシア語の散文と韻文が、ここを基準にする。

決闘で三十七歳で死んでいる。

ゴーゴリ — 笑いと恐怖

ニコライ・ゴーゴリは同じ作品の中で笑わせ、不安にさせる。

死せる魂は、死んだ農奴の戸籍を買い集める男が地主を訪ね歩く話である。訪問先の地主が一人ずつ描かれ、それぞれが人間の一つの類型として誇張されている。

外套(外套)では、貧しい役人が外套を新調し、それを奪われて死に、幽霊になる。「我々は皆ゴーゴリの外套から出てきた」という言葉が伝わっているフョードル・ドストエフスキーに帰されることが多いが、出典は確かでない)。

現実を歪めて書くことで、かえって現実の構造が見えるという方法がここにある。

論争としての小説

一八四〇年代以降、西欧派とスラヴ派の論争が起きる。ロシアは西欧の道を進むべきか、独自の共同体に根拠を求めるべきか。小説の登場人物が、この論争の担い手として造形される。

イワン・ツルゲーネフ父と子(一八六二年)は、旧世代の貴族と、科学と否定を掲げる青年バザーロフを対置した。「ニヒリスト」という語が広まったのはこの作品による。 発表時、保守派からも急進派からも攻撃された。

イワン・ゴンチャロフオブローモフは、寝台から起き上がらない地主を主人公にする。「オブローモフ主義」がロシア的な怠惰と無為を指す語になった。

ドストエフスキー — 思想が人間の形をとる

フョードル・ドストエフスキーは死刑判決を受け、刑場で執行直前に減刑され、シベリアで四年を過ごした。

罪と罰(一八六六年)は、「選ばれた人間には道徳を踏み越える権利がある」という理屈で老婆を殺した学生が、その理屈に耐えられなくなる話である。思想が人物の中で試され、破綻する。

地下室の手記では、地下室の男が理性による幸福の設計を拒否する。人間は自分の不利益を選ぶ自由を求めるという主張であり、啓蒙以来の合理主義への反論になっている。

カラマーゾフの兄弟(一八八〇年)の「大審問官」では、キリストが再臨し、審問官に「自由は人間には重すぎる」と告げられる。信仰への疑いを、信仰を擁護する作品の中で最も強く書いた。

方法上の特徴として、複数の思想が作者に統合されず、対等に主張し合う点が挙げられる。 バフチンはこれを「ポリフォニー(多声性)」と呼んだ。

トルストイ — 全体を書く

レフ・トルストイ戦争と平和(一八六五〜六九年)は、ナポレオン戦争期のロシアを、数百人の人物と歴史論を交えて書いた。

歴史は英雄が動かすのではないという主張が、作品の随所に地の文として置かれる。小説であり歴史哲学の書でもある、という構造をとる。

アンナ・カレーニナ(一八七三〜七七年)は、不倫によって社会から排除されていく女性と、農村で生の意味を探す地主の二つの筋を並行させる。

細部の精度が際立つ。 表情、身振り、部屋の匂い。内面を説明せずに、外から見えるものだけで伝える場面が多い。

晩年、彼は宗教的な転回を経て、芸術としての自作を否定的に語るようになる。非暴力の思想はガンディーに影響を与えた。

チェーホフ — 何も起こらない

アントン・チェーホフは医師で、短篇と戯曲を書いた。

それまでの劇の作り方を変えた。 大きな事件が起こらない。人物は本心と違うことを話し、噛み合わない会話が続く。桜の園では、屋敷が売られるまでの間、誰も有効な行動を取らない。

「何も起こらないこと」自体を劇にしたという点で、二十世紀の演劇の前提になった。彼自身は桜の園を喜劇と呼び、初演で悲劇として演出したスタニスラフスキーと対立している。

この時代をどう読むか

中身
文学が代替した議会も自由な新聞もなく、社会の議論が小説の中で行われた
言語の基準アレクサンドル・プーシキンがロシア語の散文と韻文の水準を決めた
思想の実験フョードル・ドストエフスキーは思想を人物に担わせ、その帰結まで書いた
形式の破壊アントン・チェーホフは事件のない劇を成立させた

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