イタリア文学史 — ダンテからエーコまで
イタリア文学史は、一つの選択から始まる。ダンテ・アリギエーリが神曲を書いたとき、使ったのはラテン語ではなくトスカーナ方言だった。当時、格の高い内容はラテン語で書くのが常識である。神学と来世を扱う長篇の詩ならなおさらそうだった。その常識を破ったことが、ヨーロッパの俗語文学の出発点になる。二百年後にフランスのデュ・ベレーが『フランス語の擁護と顕揚』を宣言したのと同じ選択を、ダンテははるかに早く、宣言なしに実行した。
この文学史はローマの続きではない。ラテン語文学とイタリア語文学は別の系譜である。ローマは千年にわたってヨーロッパ全体の書き言葉を提供したが、イタリア文学はそこから独立することで生まれた。
以下、五つの時代に分けて追う。全体の見取り図は次のようになる。
| 時代 | 年代 | イタリア史の状況 | 文学に起きたこと | 代表作 |
|---|---|---|---|---|
| 俗語文学の始まり | 1265〜1400年 | 都市国家の分立 | 俗語で書くという選択がなされる | 神曲 デカメロン |
| ルネサンス | 1400〜1600年 | 都市国家とローマ教皇庁 | 古代の再発見。宮廷が文学を抱える | 君主論 狂えるオルランド |
| 17-18世紀 | 1600〜1800年 | スペイン・オーストリアの支配 | 国際的な存在感が低下する | 新しい学 |
| 統一運動期・近代 | 1800〜1900年 | リソルジメント、1861年に統一 | 統一国家の国語をどう作るかが課題に | 婚約者 カンティ |
| 20世紀以降 | 1900年〜 | ファシズム、二つの大戦、戦後 | 形式の実験と、収容所の証言 | 作者を探す六人の登場人物 これが人間か |
俗語文学の始まり(1265〜1400年/トレチェント)— 十四世紀の三人
14世紀のトスカーナに、三人の作家が集中して現れる。この三人が、イタリア語という文学の言葉を事実上作った。
ダンテ・アリギエーリの神曲(1308〜1321年)は、地獄・煉獄・天国をめぐる旅を、三行一組の韻文で書いた長篇である。案内人として登場するのがウェルギリウスである。千三百年前のローマの詩人を導き手に選んだことは、古代への敬意と、そこから離れる意志の両方を示している。
ペトラルカはカンツォニエーレでラウラという女性への愛を歌った。14行の定型詩であるを洗練させ、ヨーロッパ全体に広めている。イギリスではシェイクスピアのソネットに、フランスではロンサールらのプレイヤード派につながった。ペトラルカ主義という語が生まれるほど、恋愛詩の型を決定している。
ボッカッチョのデカメロン(1349〜1353年)は、ペストを逃れた十人が十日間で百の話を語る構成をとる。外側に一つの物語の枠を置き、その中に短い話を収める形式で、チョーサーのカンタベリー物語が直接この影響下にある。
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 新生 | 1294年頃 | ダンテ・アリギエーリ | 詩と散文 |
| 神曲 | 1308〜1321年 | ダンテ・アリギエーリ | 長篇の詩 |
| デカメロン | 1349〜1353年 | ボッカッチョ | 枠物語 |
| カンツォニエーレ | 14世紀 | ペトラルカ | ソネット集 |
ルネサンス(1400〜1600年)— 古代の再発見と、政治の現実
15世紀から16世紀、イタリアはルネサンスの中心になる。背景にビザンツからの古典の流入がある。コンスタンティノープル陥落の前後に、ギリシャ語の写本と学者がイタリアへ渡った。失われていた古代の文献が読めるようになったことが、と呼ばれるこの時代の知的興奮の土台にある。
文学で最も影響が大きかったのはマキァヴェッリの君主論(1532年刊)である。政治を道徳から切り離し、権力の維持という観点だけで論じた。マキャヴェリズムという語が生まれ、以後の政治思想の出発点の一つになっている。
アリオストの狂えるオルランドは騎士道物語を諧謔をまじえて語り直した長篇詩で、ヨーロッパ中で読まれた。タッソの解放されたエルサレムは十字軍を主題にする。カスティリオーネの宮廷人は理想的な宮廷人の作法を対話の形式で論じた書物で、ヨーロッパ各国の宮廷文化の教科書になった。ヴァザーリの『美術家列伝』は画家・彫刻家の伝記を集めたもので、美術史という分野そのものの出発点にあたる。
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 狂えるオルランド | 1516〜1532年 | アリオスト | 騎士道物語の詩 |
| 宮廷人 | 1528年 | カスティリオーネ | 対話(作法書) |
| 君主論 | 1532年刊 | マキァヴェッリ | 政治論 |
| 『美術家列伝』 | 1550年 | ヴァザーリ | 伝記 |
| 解放されたエルサレム | 1581年 | タッソ | 叙事詩 |
17-18世紀(1600〜1800年/外国勢力の支配下)— 停滞と再編
ルネサンス以後、イタリア文学の国際的な存在感は相対的に低下する。政治的な分裂と、スペイン・オーストリアによる支配が続いたことが背景にある。
それでも重要な仕事は生まれた。ヴィーコの新しい学(1725年)は、人間の歴史は人間が作ったのだから人間に理解できる、という原理から歴史哲学を構想している。当時ほとんど読まれなかったが、19世紀以降に再評価され、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の構造にも影響を与えた。
演劇ではゴルドーニが、仮面をつけた役柄が筋書きだけを頼りに演じるを改革し、台本を完全に書き切る近代的な喜劇を確立した。ヴィットーリオ・アルフィエーリは逆に悲劇を書き、圧政に抗する主人公の造形が、次の統一運動の時代に読み直されることになる。
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 新しい学 | 1725年 | ヴィーコ | 歴史哲学 |
| 『宿屋の女主人』 | 1753年 | ゴルドーニ | 喜劇 |
| 『サウル』 | 1782年 | ヴィットーリオ・アルフィエーリ | 悲劇 |
統一運動期・近代(1800〜1900年/リソルジメント)— 国語をどう作るか
19世紀、イタリア統一運動(リソルジメント)の時代に、文学は国民国家の言語をどう作るかという問題に直面する。当時のイタリアは地域ごとに方言が大きく違い、共通の話し言葉がなかった。
マンゾーニの婚約者(1827〜1842年)がこの問題の中心にある。初版の刊行後、フィレンツェの言葉に合わせて全面的に書き直した。統一されたイタリア語の規範を、小説の実作によって示そうとしたことになる。日本の言文一致と構造の似た問題である。
レオパルディはカンティで、深い悲観を透明な言語で歌った。19世紀ヨーロッパの詩人の中でも屈指の評価を受けている。世紀後半にはヴェルガがを掲げ、シチリアの貧しい漁村を描いた。フランスの自然主義の影響下にあるが、科学的な実験という枠組みより、話し言葉の再現に重点がある。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 婚約者 | 1827〜1842年 | マンゾーニ | 歴史小説 |
| カンティ | 1835年 | レオパルディ | 詩集 |
| 『新韻律詩集』 | 1877年 | ジョズエ・カルドゥッチ | 詩集 |
| 『マラヴォリア家の人々』 | 1881年 | ヴェルガ | 小説。ヴェリズモ |
20世紀以降(1900年〜/ファシズムと戦後)— 実験と証言
20世紀のイタリア文学は、二つの方向で強い達成を見せる。
一つは形式の実験である。ピランデッロの作者を探す六人の登場人物(1921年)では、登場人物が作者を探して舞台に現れる。演劇の約束事そのものを主題にしたこの作品は、20世紀演劇の転換点になった。ズヴェーヴォのゼーノの意識は、精神分析の枠組みを用いた内面小説である。詩ではウンガレッティとモンターレが、語を切り詰めて意味を容易に取らせないの詩を書いた。カルヴィーノは見えない都市などで物語の構造を組み替える実験を続け、エーコはの学者として出発して、薔薇の名前で中世の修道院を舞台にした推理小説を書き、世界的な読者を得ている。
もう一つは証言の文学である。レーヴィはアウシュヴィッツからの生還者で、これが人間か(1947年)に収容所の経験を書いた。感情を抑えた明晰な記述が特徴で、化学者としての訓練が文体に現れているという見方がある。戦後には、庶民の生活を飾らずに描くが文学と映画の両方で起こり、パヴェーゼやモラヴィアがその周辺にいた。
ノーベル文学賞はジョズエ・カルドゥッチ(1906年)、ピランデッロ(1934年)、モンターレ(1975年)らが受けている。近年はフェッランテの作品が国際的に広く読まれているが、この作家は正体を公表していない。
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 『埋もれた港』 | 1916年 | ウンガレッティ | 詩集 |
| 作者を探す六人の登場人物 | 1921年 | ピランデッロ | 戯曲 |
| ゼーノの意識 | 1923年 | イタロ・ズヴェーヴォ | 小説 |
| 『イカの骨』 | 1925年 | エウジェニオ・モンターレ | 詩集 |
| これが人間か | 1947年 | プリーモ・レーヴィ | 証言 |
| 見えない都市 | 1972年 | イタロ・カルヴィーノ | 小説 |
| 薔薇の名前 | 1980年 | ウンベルト・エーコ | 小説 |