見えない都市
- 原題
- Le Citta Invisibili
- 作者
- イタロ・カルヴィーノ
- 成立
- 1972
- 国
- イタリア
- 時代
- 20世紀以降
概要
1972年に刊行された。マルコ・ポーロが、老いた皇帝フビライ・ハンに、旅先で見た都市について語るという設定をとる。語られる55の都市はすべて架空で、いずれも女性の名を持つ。
一つの都市の記述は一ページから二ページで、独立した散文詩に近い。都市は11の主題に分類され、それぞれに5つずつ属する。都市と記憶、都市と欲望、都市と記号、軽やかな都市、都市と交換、都市と目、都市と名前、都市と死者、都市と空、連続する都市、隠れた都市。
全体は九章に分かれ、各章の前後にマルコとフビライの対話が斜体で置かれる。都市の描写と、それを語る二人の会話が交互に進む構造になっている。対話では、語ることと聞くこと、地図と現実、帝国が滅びつつあることが話題になる。
筋はない。人物も二人だけで、変化らしい変化は起きない。配列には規則があり、各章の都市の主題が階段状にずれていく数学的な構成が指摘されている。
カルヴィーノは1923年、キューバで生まれ、イタリアのリグーリアで育った。第二次大戦中はパルチザンに参加し、戦後は戦争体験にもとづく写実的な小説で出発している。1960年代以降、作風が大きく変わり、寓話的・実験的な作品を書くようになった。
執筆当時、カルヴィーノはパリに住んでいた。フランスの実験文学集団ウリポ(潜在文学工房)と交流があり、後に正式に参加している。ウリポは、あらかじめ設けた制約のもとで書く方法を追求する集団で、ペレックやレーモン・クノーが属していた。この作品の主題と数の規則にもとづく配列は、その関心と重なる。
本人の説明によれば、都市についての断片を折々に書き溜め、それを主題ごとに分類したところ、後から配列の規則が見えてきたという。構成が先にあったのではなく、集積から生まれたと述べている。
素材となったマルコ・ポーロの『東方見聞録』は13世紀の旅行記で、フビライ・ハンの宮廷に仕えた記録を含む。この作品はその設定だけを借り、内容は関係を持たない。
文学史における評価と影響
小説の形式をどこまで解体できるかという実験にあたる。筋も、人物の変化も、時間の経過もない。それでも一冊として成り立つのは、配列と反復と対話の枠が支えているためである。
同時代の関心とも重なる。1960年代から70年代にかけて、ロブ=グリエらのヌーヴォー・ロマンが、筋と人物を中心とする小説の約束事を疑っていた。カルヴィーノはその流れと接しつつ、実験を寓話と幻想の形で行った点で位置が異なる。読みにくさを目的にしていない。
主題としては、都市を語ることが可能かという問いが中心にある。同じ都市が見る者によって別物になり、記憶と欲望が混ざり、名前と実体がずれる。都市を記述する言葉が、都市そのものを作り変えてしまうという認識が、全体を貫く。
読者層は文学の外にも広がった。建築と都市計画の分野で長く読まれており、設計を論じる文章で引かれることが多い。都市を機能や効率で捉える見方に対して、記憶と物語の集積として捉える視点を与えるためである。
カルヴィーノは1985年に死去した。同じ年に予定されていたハーバード大学での連続講義の草稿が、死後『新たな千年紀のための六つのメモ』として刊行され、軽さ・速さ・正確さ・視覚性・多様性という文学の資質を論じている。この作品は、その考えを実作で示したものとして読まれる。
日本でも訳が読める。任意の頁から読める構成で、通読を要求しない。
内容
都市の記述は、それぞれ一つの着想を極端まで進める形をとる。
死者の街を地下に持ち、生者の街とまったく同じ配置で作られている都市。水道管だけが残り、そこから出る水の音と、住人の女性の名を呼ぶ声だけがある都市。二つの半球の間に張られた網の上に建ち、下は虚空である都市。住人が毎年家を取り壊して建て直す都市。地図の上でしか存在しない都市。訪れるたびに以前と違って見えるため、同じ都市かどうか確かめられない都市。
対話の場面では、フビライが、あなたの語る都市はどれも本当に存在するのかと問う。マルコは、自分が語っているのはいつもヴェネツィアなのだと答える場面がある。ヴェネツィアについて語ったことがないと指摘されると、他の都市を語ることでしかヴェネツィアを語れない、と説明する。
言葉が通じない設定も置かれる。初期のマルコは共通の言語を持たず、身振りと持ち帰った品物だけで都市を伝えていた。言葉を覚えたあと、かえって伝わるものが減ったと記される。
末尾で、フビライは地図帳を広げ、そこに載る破滅の都市を指す。地獄はいつか来るものではなく、すでにここにある、と述べる。マルコの答えで作品は閉じられる。地獄の中で地獄でないものを探し、それが何かを見分け、それに場所を与え、持続させること。この結び方が、作品全体の姿勢として引用されることが多い。