ピランデッロ
- 原綴
- Luigi Pirandello
- 生没
- 1867–1936
- 出身
- アグリジェント近郊(シチリア島南部)
- 国
- イタリア
- 時代
- 20世紀以降
生涯
1867年、シチリア島のアグリジェント近郊に生まれた。硫黄鉱山を経営する裕福な家である。生家のあった地区は「カオス(混沌)」と呼ばれており、本人は自分を混沌の子だと好んで語った。
ローマとドイツのボンの大学で文献学を学び、学位を得ている。ローマで教職に就きながら、小説と詩を書き始めた。
1894年、親の決めた相手と結婚する。1903年、実家の鉱山が水害で壊滅し、家の財産を失った。この打撃をきっかけに妻が精神を病む。以後の十数年、妄想に取り憑かれた妻と暮らすことになった。妻は夫の不貞を確信し、絶えず責め続けた。
この経験が文学の根にある。同じ出来事が、一人の人間の心のなかでまったく別のものになる。何が現実なのかは、その人が何を見ているかによって決まってしまう。ピランデッロにとってこれは机上の思弁ではなく、毎日の生活そのものだった。
小説家として出発したが、五十代から劇作に集中する。1921年の作者を探す六人の登場人物が大きな反響を呼んだ。ローマでの初演は騒然となり、観客が怒号を上げたと伝えられる。だがその新しさはやがて国際的に認められた。
ムッソリーニのファシスト政権を支持したことは、後に批判の対象になった。政権から劇場の運営資金を受けている。1934年にノーベル文学賞を受賞し、1936年に死去した。六十九歳だった。
作風
その根底にある考え方はこうである。誰にとっても同じである客観的な現実というものはない。あるのは、それぞれの人が自分の位置から見ている現実だけである。同じ出来事も、見る人が違えば別のものになる。そして、どれが本当かは誰にも分からない。
『それぞれの流儀で』がこれを直接扱う。ある一家をめぐって、二つのまったく矛盾する説明が語られる。町の人々はどちらが本当かを突き止めようとして、当事者を問い詰める。最後に、真相を知るはずの女性が現れて告げる。私はある人にとってはこれであり、別の人にとってはあれである、私自身にとっては何者でもない、と。真実は明かされないまま幕が下りる。
自分が誰であるかも同じように疑われる。人は一つの人格を持っているのではなく、相手との関係ごとに違う顔を出す。妻の前の自分、同僚の前の自分、他人が見ている自分。そのどれもが自分であり、どれも本当の自分ではない。
そして演劇の約束事そのものが壊される。作者を探す六人の登場人物がその頂点にあたる。劇団が稽古をしている舞台に、突然六人の人物が現れる。彼らは、ある作者に思いつかれながら書かれずに捨てられた「登場人物」だと名乗り、自分たちの物語を演じてくれと要求する。俳優たちが演じ始めると、当の登場人物たちが、違う、そうではない、と抗議する。虚構の人物のほうが、それを演じる生身の俳優より生々しい、という逆転が起きる。舞台と客席、虚構と現実の境目が崩れていく。
作品
『作者を探す六人の登場人物(Sei personaggi in cerca d'autore)』(1921年)
代表作である。20世紀演劇の転換点とされる。
『エンリコ四世(Enrico IV)』(1922年)
落馬による負傷から自分を中世の皇帝だと思い込むようになった男を描く。やがて正気に戻っているのに、そのふりを続けているのではないかという疑いが生じる。狂気と正気の境が問われる。
『それぞれの流儀で(Così è (se vi pare))』(1917年)
真実が人によって違うことを扱う。
小説『生きていたパスカル(Il fu Mattia Pascal)』(1904年)は、誤って死んだことにされた男が、別人として生き直そうとする話である。戸籍を持たない人間には何もできないと分かるまでを描く。
『一人、誰でもない、そして十万人(Uno, nessuno e centomila)』(1926年)
自分の鼻が曲がっていると妻に指摘されたことから、他人の見ている自分と自分の思う自分がずれていることに気づき、崩れていく男を描く。
短編も多く書いた。『一年間の物語(Novelle per un anno)』はその集成にあたる。
日本語では主要な戯曲と『生きていたパスカル』が読める。
文学史における立ち位置と影響
20世紀の演劇に最も大きな影響を与えた劇作家の一人である。
舞台の上で演劇そのものを問い直すという方法を確立した。これを演劇についての演劇と呼ぶ。虚構であることを隠さず、むしろ露わにする。以後の演劇は、この破壊を経た後のものとして書かれることになった。
不条理演劇の先駆とされる。ベケットやイヨネスコの作品は、ピランデッロが開いた場所の延長にある。確かなはずの現実が崩れ、意味が失われた世界を、演劇の形式そのものによって示す、という方法がここに始まる。
自分が誰であるかを問う主題も、20世紀文学の中心的な問いになった。同じイタリアのズヴェーヴォをはじめ、同時代の作家たちと共有されている。
ドイツのブレヒトにも通じる。観客にこれは演劇だと意識させる手法は共通する。ただし目的が違う。ブレヒトは社会を変えるために観客を冷静にさせようとしたが、ピランデッロは現実が確かでないことを示すために同じことをした。
ファシズムへの支持は評価に影を落としている。作品の新しさと作者の政治的な立場をどう扱うかという問題が、ここにもある。
日本での受容は演劇を通じて進んだ。作者を探す六人の登場人物は繰り返し上演されている。