ピエール・ド・ロンサール

ひだ襟をつけ、あごひげをたくわえたピエール・ド・ロンサールの肖像(版画)。
ドルペック工房のリトグラフ
原綴
Pierre de Ronsard
生没
1524–1585
出身
ヴァンドモワ地方(現・ロワール=エ=シェール県)
フランス
時代
16世紀

生涯

1524年、ロワール河畔のヴァンドモワ地方(現・ロワール=エ=シェール県)の貴族の家に生まれた。若いころ宮廷に仕え、外交使節に随行して各地をまわった。だが病のため耳が遠くなり、宮廷での立身の道を断たれた。

そこで学問と詩に転じ、パリの学寮で古代ギリシャ・ローマの文学を深く学んだ。同じ学寮で学んだデュ・ベレーらと交わり、フランス詩を刷新しようとする若い詩人の一団を作った。この一団はやがて、夜空にきらめく七つ星の名にちなんで「プレイヤード(すばる)派」と呼ばれる。

以後、詩人として名声を高め、フランス王家の庇護を受けた。宮廷詩人として王のための詩を書くかたわら、恋愛詩や自然をうたう詩を数多く残した。晩年は宗教内乱の時代を生き、1585年に没した。

作風

ロンサールの詩は、古代の詩人を手本にしながら、フランス語で豊かな詩の世界を築く。ギリシャ・ローマの神話や、古代の詩形を取り入れ、フランス語にそれまでにない格調と多彩さをもたらした。母語で古典に匹敵する詩を書くことが、ロンサールの目標だった。

恋愛詩に、とりわけすぐれる。若き日のカッサンドル、後年のマリー、そして晩年のエレーヌと、生涯の節目ごとに実在の女性への思いをうたった一連のソネットは名高い。「エレーヌへのソネット」の一篇では、年老いた恋人に、今のうちに人生の薔薇を摘めと呼びかける。時の移ろいと、はかない美への愛惜が、ロンサールの恋愛詩を貫く主題である。

自然をうたう詩も多い。故郷の川や森、薔薇といった身近な自然を、生命の輝きと、その衰えの予感とともに描いた。人生の喜びと、避けられぬ死の意識とが、つねに背中合わせになっている。

作品

『恋愛詩集(Les Amours)』(1552年ほか)

カッサンドルへの愛をうたったソネット集に始まる、一連の恋愛詩である。イタリアの詩人ペトラルカの影響を受けつつ、フランス語による洗練された恋の詩を確立した。

『オード集(Odes)』(1550年)

古代ローマの詩人ホラティウスらにならった、格調高い頌歌(しょうか、たたえうたう詩)の集である。フランス詩に古典的な威厳をもたらした。

晩年の『エレーヌへのソネット(Sonnets pour Hélène)』には、「私が年老いたとき」の一篇など、時の流れと愛をうたった名高い詩が収められている。国王の求めに応じ、フランス建国の起源をうたう大叙事詩『フランシアード』も試みたが、こちらは完成せず、失敗作に終わった。

文学史における立ち位置と影響

ロンサールは、フランス・ルネサンスの詩を代表する詩人として文学史に名を残す。プレイヤード派を率い、母語であるフランス語を、古典に匹敵する文学の言葉へと高めた点に、その大きな功績がある。

生前は「詩人たちの王」とたたえられ、フランス詩の頂点に立った。その後、十七世紀の古典主義の時代には、規則を重んじる立場から、ロンサールの豊かで奔放な詩は古いものとされ、評価が下がった。

再評価が進んだのは十九世紀のロマン主義以降である。感情と想像力を重んじるロマン派の詩人たちが、ロンサールの詩の豊かさをあらためて見出した。今日ではフランス・ルネサンス最大の詩人として、その地位は揺るがない。

作品

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