神曲

原題
La Divina Commedia
作者
ダンテ・アリギエーリ
成立
1308-1321
イタリア
時代
俗語文学の始まり

概要

1308年頃から1321年にかけて書かれた長篇の詩である。地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部からなり、各篇33歌、地獄篇のみ序歌を加えて34歌、合わせて100歌になる。全体で約14200行。

主人公は作者自身である。人生の道の半ばで暗い森に迷い込んだ「私」が、ウェルギリウスに導かれて地獄と煉獄をめぐり、天国では若くして死んだベアトリーチェが案内を引き継ぐ。

この詩がラテン語ではなくイタリア語で書かれたことが、まず大きい。当時、高尚な主題を扱う文章はラテン語で書くのが当然とされていた。ダンテは俗語を選び、その選択自体を別の著作で論じている。

構造は徹底して数に支配されている。三部構成、各篇33歌、韻の踏み方も三行ごとに連鎖するテルツァ・リーマという形式で、三が全体を貫く。三界の地形も緻密に設計され、地獄は九つの圏が漏斗状に降り、煉獄は七つの環をもつ山、天国は九つの天球である。

題名の「喜劇(コンメーディア)」は、悲惨な状態から幸福な状態へ終わる作品を指す当時の用語である。「神聖な」を冠したのは後世で、16世紀の版から定着した。

執筆は亡命中に行われた。ダンテはフィレンツェの政治に関わり、1302年、政争に敗れて追放される。帰郷すれば火刑という判決を受け、二度と戻らなかった。各地の領主のもとを転々としながら書き続け、1321年、ラヴェンナで死去した。天国篇の最後の数歌は、死の直前に完成したとされる。

作中の時代設定は1300年、追放の二年前に置かれている。作者は作品の中で、自分の未来を登場人物に予言させることができる。 地獄と煉獄で出会う魂が「私」の追放を告げる場面が繰り返され、亡命の苦さが詩の内側に組み込まれている。

登場する人物の多くは実在する。同時代のフィレンツェの政敵、教皇、神聖ローマ皇帝が、それぞれの場所に配置されている。教皇ボニファティウス八世は、まだ存命の時点で地獄の一区画をあてがわれている。

俗語で書く選択については、未完の論考『俗語論(De vulgari eloquentia)』で論じられている。皮肉なことに、この論考自体はラテン語で書かれている。

文学史における評価と影響

イタリア語という文学の言語は、この作品によって確立された。当時のイタリアは統一国家ではなく、各地の方言が並立していた。ダンテが用いたトスカーナ方言が、この作品とペトラルカボッカッチョの作を通じて標準の地位を得ていく。現代イタリア語は、事実上この詩の言語の延長にある。

内容の面では、キリスト教の世界観、スコラ哲学、古代の詩、同時代の政治を一つの構造に収めた。彼岸の描写は、教義の説明ではなく地形と刑罰の具体で示される。罪に対する罰が、その罪の性質を形にして返す仕組み——占い師は首を後ろに捻じられ、前を見られない——はコントラパッソ(応報)と呼ばれ、この詩の設計の核にあたる。

ウェルギリウスを導き手にした選択は、古代とキリスト教の関係を示す。理性の到達点として敬われながら、信仰を持たないために天国には入れない。この配置に、中世が古代をどう位置づけていたかが表れている。

後世への影響は広い。T・S・エリオット荒地をはじめとする作品でこの詩を引き、世界をシェイクスピアと二人で分け合っていると評した。美術の題材としても繰り返し扱われ、ボッティチェッリ、ブレイク、ギュスターヴ・ドレ、ロダンが場面を作品にしている。

日本では複数の全訳が読める。固有名詞と同時代の政治への言及が多く、注釈なしでは読み進めにくい。地獄篇だけが読まれることも多いが、構造は三篇を通して初めて見える。

あらすじ

地獄篇。1300年の聖金曜日、三十五歳の「私」は暗い森で道を見失う。丘へ向かおうとして三頭の獣に阻まれたところへ、ウェルギリウスが現れる。ベアトリーチェの依頼で導きに来たと告げ、別の道を行こうと言う。

地獄の門には、ここを入る者は一切の望みを捨てよという銘が刻まれている。アケロン川を渡り、地獄は九つの圏に分かれて下っていく。第一圏の辺獄には、キリスト以前に生まれた徳の高い人々——ホメロスアリストテレスら——がいる。罰はないが希望もない。

以下、罪の重さの順に下る。愛欲の圏では、義弟と通じたフランチェスカが、二人で騎士物語を読んでいて口づけに至ったこと、その日はもうそれ以上読まなかったことを語る。貪食、貪欲、憤怒、異端、暴力。第七圏では自殺者が木に変えられている。

第八圏は十の濠に分かれ、詐欺の罪を裁く。汚職官吏は煮えた瀝青に沈み、偽善者は鉛の衣をまとい、盗賊は蛇と姿を交換し続ける。謀略で人を欺いた者の炎の中に、オデュッセウスがいる。故郷に留まらず未知の海へ出た最後の航海を語り、船が沈んだところで炎に戻る。

最下層は裏切りの圏で、火ではなく氷である。中心には三つの顔を持つ巨大な悪魔がいて、三つの口でユダとブルートゥスとカッシウスを噛み砕いている。二人はその体をよじ登り、地球の中心を通って反対側へ抜け、星を見る。

煉獄篇。南半球の海に浮かぶ山が煉獄で、罪を悔いて死んだ者が、罪を清めながら登る。門で額に七つの P(peccatum=罪の頭文字)を刻まれ、七つの環を上がるごとに一つずつ消える。環は高慢・嫉妬・憤怒・怠惰・貪欲・貪食・愛欲の順で、地獄と違い、ここには時間があり、進歩がある。傲慢の環では重い石を背負って歩き、怠惰の環では走り続ける。

頂上には地上楽園がある。ここでウェルギリウスは去る。洗礼を受けていない異教徒であるため、これ以上は進めない。入れ替わりにベアトリーチェが現れ、「私」の生前の過ちを厳しく問い詰める。「私」は泣いて認め、レテの川で記憶を洗われる。

天国篇。ベアトリーチェに導かれ、月天から始まる九つの天球を上昇する。各天には、その徳に応じた魂が現れる。水星天には名声を求めた者、金星天には愛の人、太陽天には神学者。トマス・アクィナスが清貧の聖フランチェスコを、フランチェスコ会士がドミニコを、それぞれ相手の側の創始者を讃える形で語る。火星天には十字軍の戦士、木星天には正しい君主。

土星天から恒星天へ進み、「私」は信仰・希望・愛について試問を受ける。原動天を経て、時間も空間もない至高天に達する。純白の薔薇の形に聖徒たちが座している。ベアトリーチェは自分の席に戻り、聖ベルナールが最後の導き手となる。

最後に「私」は神を直視する。三つの円が重なる光の中に人間の姿を見るが、それを理解する力は及ばない。理解が閃いた瞬間、意志と願いは、太陽と星々をめぐらせる愛によってすでに動かされていた——という一行で詩は終わる。三篇とも末尾の語は「星(stelle)」である。

作者

登場する文学史