婚約者

原題
I Promessi Sposi
作者
マンゾーニ
成立
1827-1842
イタリア
時代
統一運動期・近代

概要

1827年に刊行され、著者が言語を全面的に改めた決定版が1840年から1842年にかけて分冊で出た長篇小説である。全38章。

舞台は1628年から1630年の北イタリア、コモ湖畔とミラノ。当時この地域はスペインの支配下にあった。主人公は絹織工のレンツォと、その婚約者ルチーアという、いずれも貧しい村の若者である。歴史小説でありながら、主人公が農民と職工であることが、この作品の新しさにあたる。

婚礼を挙げようとした二人は、ルチーアに目をつけた地元の領主ドン・ロドリーゴの妨害を受ける。司祭が脅されて式を拒み、二人は村を離れる。以後、飢饉、暴動、戦争、ペストと、時代そのものが二人を翻弄する。

歴史の記述に多くの紙幅が割かれる。パンの価格統制が招いた暴動、傭兵の略奪、1630年のミラノのペスト。筋を止めて数章にわたる歴史の説明が入る構成で、これは著者が史料を実際に調査して書いたことによる。

冒頭には、17世紀の無名の写本を書き直したという断り書きが置かれる。写本は実在しない。

マンゾーニは1785年、ミラノの生まれ。パリで啓蒙思想の影響下に育ち、1810年にカトリックに回心した。以後、宗教劇と讃歌を書き、この作品に取り組む。

執筆は1821年に始まった。当初の草稿は1823年に完成し、改稿を経て1827年に刊行された。当時のイタリアはまだ統一国家ではなく、オーストリアなど外国の支配下にあった。17世紀のスペイン支配を描くことは、同時代の状況への言及として読まれた。

初版の言語には、著者自身が満足しなかった。ミラノの方言とトスカーナ語と文語が混じっており、統一を欠いていたためである。1827年、マンゾーニはフィレンツェに滞在し、生きたトスカーナ語を採取した。この作業を、自ら「アルノ川で衣を漱ぐ」と表現している。改稿された決定版が1840年から1842年に刊行された。

歴史の記述には史料調査の裏づけがある。ペストの記述はミラノ保健当局の記録に、パン騒動は同時代の年代記による。ペストを扱った別の著作『恥ずべき柱の物語(Storia della colonna infame)』も書いており、無実の者が拷問で自白させられ処刑された裁判を検証している。決定版にはこれが併載された。

文学史における評価と影響

イタリアの国民文学として、教育の中で長く読まれてきた。イタリア語の散文の規範を作った作品という位置づけが大きい。統一以前のイタリアには共通の話し言葉がなく、書き言葉も地域と階層で分かれていた。トスカーナ語を基礎に、口語に近い散文を確立したこの作品は、統一後の国語教育の土台になった。

歴史小説としては、ウォルター・スコットの影響下にある。19世紀初頭のヨーロッパでスコットの作品が広く読まれ、各国で歴史小説が書かれた。マンゾーニはその系譜に立ちつつ、歴史上の大人物を主役にせず、名もない村人を中心に置いた。 大司教や盗賊は登場するが、視点は一貫して庶民の側にある。

同時に、この作品は歴史小説というジャンル自体への疑いを抱えている。マンゾーニは後年、論考『歴史小説論』を書き、史実と虚構を混ぜる形式には解決できない矛盾があると論じた。自作の形式を、自ら否定に近い形で検討したことになる。

宗教的な枠組みも作品の骨格をなす。摂理を信じる立場が示され、悪人は回心するか死ぬ。この点を、教訓的にすぎるとして批判する読みは古くからある。一方で、権力者が法を無視して振る舞い、行政が機能せず、群衆が無実の者を殺す描写は容赦がなく、単純な楽観とは言えない。

ペストの記述は、疫病が社会をどう変えるかの古典的な記録として、繰り返し参照されてきた。

日本でも訳が読める。イタリアでの知名度と、日本での知名度の差が大きい作品にあたる。

あらすじ

1628年、コモ湖畔の村。司祭ドン・アッボンディオは、婚礼の前夜、領主ドン・ロドリーゴの手下二人に呼び止められ、レンツォとルチーアの式を挙げるなと脅される。臆病な司祭は口実を並べて式を延期する。

事情を知った二人は、司祭を騙して式を成立させようとするが失敗する。修道士クリストーフォロの助けで村を脱出し、レンツォはミラノへ、ルチーアは母アニェーゼとともにモンツァの修道院へ向かう。

モンツァの修道院を取り仕切るのは「モナカ・ディ・モンツァ」と呼ばれる修道女で、その来歴が語られる。家の都合で幼時から修道院に入ることを定められ、意に反して誓願を立てた女性である。外部の男と関係を持ち、それを知った同僚を殺害するに至っていた。

ミラノに着いたレンツォは、飢饉によるパン騒動に巻き込まれる。群衆がパン屋を襲い、価格統制を求めて暴れる。レンツォは酒場で不用意な発言をして扇動者と見なされ、追われてベルガモへ逃げる。当地はヴェネツィア共和国領で、追手が及ばない。

ルチーアは、ドン・ロドリーゴの依頼を受けた「名前を知られぬ人」と呼ばれる大盗賊に誘拐される。この人物は多くの罪を重ねてきたが、囚われたルチーアの姿と言葉に接して一夜苦悩し、回心する。折しも巡察に訪れていたミラノ大司教フェデリーゴ・ボッロメーオのもとを訪ね、ルチーアを解放する。

ドイツ傭兵の通過とともに、ペストが北イタリアに広がる。ミラノでは死者が積み上がり、行政は崩壊する。感染を広めているとされる「塗油者」の噂が広まり、無実の者が群衆に殺される。著者は史料を引きながら、この集団的な妄想の経過を詳述する。

レンツォはルチーアを探してミラノに入る。ペスト患者を収容した施療院で、修道士クリストーフォロと再会し、次いで瀕死のドン・ロドリーゴを見せられる。憎んだ相手を許すよう促され、レンツォは受け入れる。ルチーアも同じ施療院で看護にあたっていた。

ルチーアは誘拐の最中、助かるなら結婚しないと聖母に誓っていた。クリストーフォロが、無効な誓いであるとして解く。二人は村に戻る。ドン・アッボンディオは、ドン・ロドリーゴが死んだと知って態度を変え、式を挙げる。

二人はベルガモ領に移り、子をもうける。作品の末尾で、レンツォは、これだけの苦労から自分は何を学んだかを語る。ルチーアが、その理屈では説明がつかないと応じる。自分たちに落ち度がなくても災難は降りかかるのであり、耐えて信頼するほかないという結論が置かれ、それが読者への贈り物だと述べて閉じられる。

作者

登場する文学史