イタロ・カルヴィーノ

原綴
Italo Calvino
生没
1923–1985
出身
サンティアゴ・デ・ラス・ベガス(キューバ)
イタリア
時代
20世紀以降

生涯

1923年、キューバに生まれた。両親はともに植物学者で、農業試験場の仕事で滞在していた。二歳のときイタリアへ戻り、リグーリア州サンレモで育っている。

父の勧めで農学部に入ったが、1943年にドイツ軍が北イタリアを占領すると、パルチザン部隊に加わった。二十歳前後の二年間を山中で過ごしている。

戦後、トリノ大学で文学に転じ、コンラッド論で学位を得た。共産党に属し、出版社エイナウディで編集者として働く。1947年、抵抗運動の経験をもとにした『蜘蛛の巣の小道』を発表した。

1956年、ハンガリーで起きた民主化の動きがソ連軍によって鎮圧された。カルヴィーノはこれを機に離党する。同じ年、各地の伝承をまとめた『イタリア民話集』を編纂した。

1964年に結婚し、1967年からパリに暮らした。ここでレーモン・クノーやジョルジュ・ペレックらのウリポ(潜在文学工房)と交流する。制約を課して書くことを方法にした集団で、この接触が後期の作品に反映されている。

1980年にローマへ戻り、1985年、脳出血により61歳で死去した。ハーバード大学での連続講義の準備中だった。

作風

出発点はネオレアリズモである。戦後イタリアで、庶民の現実を飾らずに描こうとした動きを指す。『蜘蛛の巣の小道』は抵抗運動を素材にするが、視点の選び方がすでに独特だった。運動を英雄的に描くのではなく、何も分かっていない少年の目から見る。大人たちの戦いが、理解できないまま断片的に映る。

1950年代には寓話へ移った。「我々の祖先」三部作の設定はいずれも奇想である。砲弾で縦に真っ二つになり、善の半分と悪の半分が別々に生き続ける子爵。十二歳で木の上に登り、生涯地面に降りなかった男爵。中身が空っぽの鎧だけの騎士。現実を写すのではなく、構図を作って考える方法である。

1960年代以降は、構造そのものが仕掛けになる。『冬の夜ひとりの旅人が』では、十篇の小説がそれぞれ始まった直後に中断され、完結する話が一つもない。見えない都市では、五十五の都市の描写が数学的な配列で並べられ、筋がない。

文体は明晰で軽い。難解な主題を扱うときも、文そのものは平明である。最後の著作となった『アメリカ講義』では、「軽さ」を文学の徳として正面から擁護した。重い主題を扱わないという意味ではなく、重さを別の方法で運ぶという主張である。

作品

『蜘蛛の巣の小道』(1947年)

少年の目から見た抵抗運動を書いた最初の長篇である。

「我々の祖先」三部作は『まっぷたつの子爵』(1952年)、『木のぼり男爵』(1957年)、『不在の騎士』(1959年)からなる。

『レ・コスミコミケ』(1965年)

宇宙の生成や進化の科学的事実を、Qfwfq という名の語り手の思い出話として語る短篇集である。月がまだ地球に近かった頃の話などが並ぶ。

見えない都市(1972年)

マルコ・ポーロがフビライ汗に、訪れた都市を語るという枠を持つ。記憶でできた都市、欲望の形をした都市、死者だけが住む都市、二つの半分が鏡像になった都市。それぞれ二ページほどの描写が並ぶ。最後にマルコ・ポーロは、語ってきた都市はすべてヴェネツィアだと告白する。建築や都市計画の分野でも読まれ続けている作品である。

『冬の夜ひとりの旅人が』(1979年)

第一章で読者に向かって「あなたはカルヴィーノの新作を読み始めようとしている」と語りかけるところから始まる。そして小説が始まり、面白くなったところで製本の乱丁により中断する。別の本を求めると、また違う小説が始まり、それも中断する。これが十回繰り返される。その間を、本を探す「あなた」の物語が繋いでいく。読むという行為自体を主題にした小説であり、ポストモダン文学の代表例として扱われる。

『パロマー』(1983年)

一人の男が波や芝生や星空をひたすら精密に観察しようとして、うまくいかないという短章の連なりである。

『アメリカ講義(新たな千年紀のための六つのメモ)』

ハーバード大学での講義のために準備された原稿である。軽さ、速さ、正確さ、視覚性、多様性の五つを論じた。六つ目を書く前に死んだため未完である。

文学史における立ち位置と影響

カルヴィーノは、戦後イタリア文学においてエーコと並んで国際的に読まれた作家である。

評価の軸の一つは、物語への信頼にある。同時代のフランスでは、筋も人物も持たない小説を目指すヌーヴォー・ロマンが物語そのものを解体しようとしていた。それに対し、カルヴィーノは仕組みを見せながら、なお面白い物語を作った。実験的な構造と読者の楽しみを両立させた点が、後続の作家に手本を与えている。

短い幻想的な作品で知られるアルゼンチンの作家ボルヘスからの影響を公言しており、しばしば並べて論じられる。短い形式、書物と迷宮への関心、虚構の枠組みを露出させる手つきが共通する。

『イタリア民話集』の編纂も、文学史上の仕事として数えられる。物語の型を大量に扱った経験が、後期の構造的な実験の下地になった。

日本では1970年代以降に紹介が進み、安部公房村上春樹の読者層と重なる形で受容された。

作品

登場する文学史