ウンベルト・エーコ

原綴
Umberto Eco
生没
1932–2016
出身
アレッサンドリア(北イタリア・ピエモンテ州)
イタリア
時代
20世紀以降

生涯

1932年、北イタリアのアレッサンドリアに生まれた。トリノ大学で中世の哲学と美学を学び、トマス・アクィナスの美学についての論文で学位を得ている。中世への深い学識がすべての出発点にある。

放送局に勤めた後、大学で教えた。専門はである。ボローニャ大学の教授として、この分野の世界的な権威になった。

学者としての関心は極めて広い。中世の美学と記号論の理論を扱う一方で、大衆文化も同じ熱心さで論じた。マンガ、推理小説、テレビ番組、映画。高尚な文化と低俗な文化を分けず、同じ鋭さで分析している。

1980年、四十八歳で最初の小説薔薇の名前を発表した。中世の修道院を舞台にした推理小説で、誰の予想も超えて売れた。世界で数千万部に達し、映画にもなっている。学者が余技で書いた本と見られていたものが、その人物を世界的な作家に変えた。

以後、小説と学術的な著作を並行して書き続けた。蔵書家としても知られ、三万冊とも五万冊とも言われる本を持っていた。2016年、八十四歳で死去した。

作風

薔薇の名前は推理小説の形をとる。1327年、北イタリアの修道院で修道士が次々に不可解な死を遂げる。調査に訪れたイギリスの修道士ウィリアムが、若い弟子とともに謎を追う。

その枠のなかに膨大な中世の知識が詰め込まれている。神学の論争、異端をめぐる審問、教皇と皇帝の対立、清貧をめぐる修道会内部の争い。中心にあるのは書物と笑いをめぐる問題である。失われたアリストテレスの『詩学』第二巻、喜劇を論じたとされる幻の書が、事件の鍵を握る。笑いは恐怖を消す。恐怖が消えれば信仰の支えが失われる。だからこの書物は隠されなければならない。これが殺人の動機になる。

記号論の学者らしく、「読むこと」と「解釈すること」そのものが主題になっている。ウィリアムは雪の上の痕跡から、まだ見ていない馬の姿と名前を言い当ててみせる。だがその読みは常に当たるわけではない。ウィリアムが組み立てた事件の筋書きは、実は間違っていた。それでも、その間違った推理をたどった結果として真相に行き着く。解釈が当てにならないことが、物語の構造そのものに組み込まれている。

引用とパロディに満ちている。無数の書物への言及が埋め込まれ、気づいた読者は二重に楽しめる。だが気づかなくても推理小説として成立する。この多層性がエーコの方法にあたる。

学術的な著作でも姿勢は変わらない。難解な理論を語りながら、例として007やスーパーマンを引く。エッセイでは軽やかで諧謔に富んだ文章を書いた。

作品

『薔薇の名前(Il Nome della Rosa)』(1980年)

代表作である。ショーン・コネリー主演で映画化もされた。

『フーコーの振り子(Il Pendolo di Foucault)』(1988年)

陰謀論を主題にする。三人の編集者が遊び半分で壮大な陰謀の筋書きを作り上げたところ、それを本気で信じる者たちが現れて現実になっていく。

『前日島(L'Isola del Giorno Prima)』(1994年)、『バウドリーノ(Baudolino)』(2000年)、『プラハの墓地(Il Cimitero di Praga)』(2010年)などの長篇がある。

『開かれた作品(Opera Aperta)』(1962年)

初期の美学の著作である。作品の意味は作者が決めきるものではなく、読者が関わることで開かれていく、という思想を示した。

『記号論(Trattato di Semiotica Generale)』『物語における読者(Lector in Fabula)』など、記号論の著作が多数ある。

『薔薇の名前・覚書(Postille a Il Nome della Rosa)』

自作について語ったエッセイである。

日本語では薔薇の名前をはじめ、多くの小説と学術書が訳されている。

文学史における立ち位置と影響

20世紀後半のイタリアを代表する知識人であり作家である。

薔薇の名前の成功は、文学のあり方に一つの可能性を示した。学識に満ちた高度に知的な作品が、同時に世界的なベストセラーになりうる。この事実は、純文学と大衆文学の境目についての議論を活発にした。

ポストモダン文学の代表とされる。引用とパロディ、ジャンルの混ぜ合わせ、幾重にも読める構造。エーコ自身は、ポストモダンとは素朴に語ることができなくなった時代の書き方だと説明している。もはや「愛している」と直接には言えず、ある小説にそう書いてあったように愛している、と言うしかない、という例を挙げた。

記号論の学者としての業績も大きい。作品の意味は作者が決めるのではなく読者との関わりのなかで生じる、という「開かれた作品」の考え方は、20世紀後半の文学理論に影響を与えた。

カルヴィーノと並んで、戦後イタリア文学を国際的に代表する。二人とも物語の仕組みそのものに意識的だった。

中世を蘇らせた点でも大きい。『薔薇の名前』の成功以後、中世を舞台にした歴史小説が世界的に流行した。学問的な正確さと物語の面白さを両立させるその方法が、手本になっている。

日本での受容は厚い。『薔薇の名前』は映画とともに広く読まれ、学術的な著作も多く訳されている。

作品

登場する文学史