ヴィーコ
- 原綴
- Giambattista Vico
- 生没
- 1668–1744
- 出身
- ナポリ
- 国
- イタリア
- 時代
- 17-18世紀
生涯
1668年、ナポリの貧しい書店の家に生まれた。父の店にあった本が、そのまま独学の材料になった。
七歳のとき、梯子から落ちて頭蓋骨を骨折している。医者は、死ぬか、助かっても知能が損なわれるだろうと告げたという。だが回復した。この事故が自分の憂鬱な気質を作ったと、本人が自伝に書いている。
正規の教育は途切れがちだった。学校になじめず、大半を独学で学んでいる。法学、古典、哲学。ほとんど独力で膨大な学識を築いた。
1699年、ナポリ大学のの教授になった。ただし大学のなかで最も俸給の低い職である。生涯にわたって法学の講座に移ろうとしたが果たせなかった。多くの子を抱え、家庭教師の副業で家計を補いながら暮らしている。
その思想は同時代にほとんど理解されなかった。主著新しい学は自費で刊行している。当時のヨーロッパの思想界を支配していたのはデカルトに始まる理性主義で、数学と自然科学だけが確かな学問とされていた。歴史を重んじるヴィーコの主張は、時代の流れと正反対を向いていたことになる。
1744年、ナポリで死去した。七十六歳だった。その思想が正当に評価されるのは、死後百年近く経ってからである。
作風
ヴィーコが立てた原理は、人は自分が作ったものを理解できる、というものである。
当時の常識では、確実な知識は数学と自然科学にあった。歴史や詩や法といった人間の事柄は曖昧で、学問の名に値しないとされる。
ヴィーコはこれに反論した。自然は神が作ったものである。だからそれを本当に理解できるのは神だけで、人間は外から眺めて法則を推測することしかできない。
だが歴史は違う。国家も、法も、言語も、宗教も、神話も、すべて人間が作ったものである。作った当人なのだから、内側から理解できる。「真であることと、作られたことは同じである」というのがその原理になる。人間にとって最も確実に知りうる対象は、自然ではなく歴史のほうだ、という逆転がここで起きる。
この原理の上に、壮大な歴史の学問が構想された。それが新しい学である。
どの民族の歴史も三つの時代を経る、と説く。まず「神々の時代」で、人は雷や嵐を神の意志と受け取り、恐れによって秩序を保つ。次に「英雄の時代」で、力の強い者が貴族として支配し、力がそのまま正しさになる。そして「人間の時代」で、理性と平等が広がる。だが成熟した社会はやがて緩み、腐敗し、再び野蛮に戻る。そこからまた同じ循環が始まる。この繰り返しの理論が中心にある。
神話と詩への着目も独創的だった。古代の人々は抽象的に考えることができず、具体的なイメージによって世界を捉えるほかなかった。だから神話は作り話ではなく、その時代の人々の思考そのものである。詩も飾りの技術ではなく、最初の思考の形式にあたる。この見方からホメロスを読み直し、あれは一人の天才の作ではなく、ギリシャの民族全体が長い時間をかけて作ったものだと論じた。
文章は難解である。飛躍が多く、体系だっているとは言いがたい。この読みにくさが、長く理解を妨げた。
作品
『新しい学(Scienza Nuova)』(初版1725年、決定版1744年)
主著である。諸民族に共通する本性についての学問を構想し、歴史の三段階と循環の理論を示す。生涯にわたって書き直され続けた。
『自伝(Vita di Giambattista Vico scritta da se medesimo)』
自分の知的な遍歴を記した著作である。学者の自伝の先駆とされる。
『わが時代の学問方法について(De nostri temporis studiorum ratione)』(1709年)
教育と学問の方法を論じた講演にあたる。デカルト的な方法への批判を含む。
日本語では新しい学の訳がある。
文学史における立ち位置と影響
歴史哲学と人文科学の出発点に立つ思想家とされる。
評価が確立したのは死後百年以上経ってからである。19世紀にフランスの歴史家ミシュレが新しい学を訳し、熱狂的に紹介した。これによってヴィーコの名がヨーロッパに知られるようになる。
歴史を学問の対象として確立した点が決定的だった。自然科学の方法だけが学問だという考えに抗い、人間の歴史と文化を理解するための別の道筋を示した。今日の歴史学、文化人類学、言語学は、その原理を遠くこの人物に負っている。
神話と詩を最初の思考として捉えた視点も、大きな影響を残した。ドイツのヘルダーをはじめ、ロマン主義の思想家たちがこの方向を受け継ぐ。それぞれの民族の文化をその内側から理解しようとする姿勢は、ここに源を持つ。
文学における最もよく知られた影響はジョイスである。『フィネガンズ・ウェイク』は、この歴史の循環の理論を作品の骨格にしている。本は文の途中から始まり、文の途中で終わる。最後の文が最初の文につながって円環になる仕掛けで、ヴィーコの考えをそのまま形にしたものにあたる。ジョイス自身、その影響を認めている。
20世紀にも繰り返し参照された。思想史家バーリンや文献学者アウエルバッハをはじめ、歴史と文化を論じる多くの書き手がこの人物に立ち返っている。
日本での受容は、思想史と歴史哲学の研究のなかで進んだ。『新しい学』の翻訳もある。