20世紀のイタリア文学 — ピランデッロ・レーヴィ・カルヴィーノ
20世紀以降のイタリア文学には、大きく三つの流れがある。世紀前半の自我をめぐる実験、戦後のネオレアリズモと証言、そして後半の物語への回帰である。
20世紀イタリアの主な作品
| 作品 | 発表 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 『埋もれた港』 | 1916年 | ウンガレッティ | 詩集 |
| 作者を探す六人の登場人物 | 1921年 | ピランデッロ | 戯曲 |
| ゼーノの意識 | 1923年 | イタロ・ズヴェーヴォ | 小説 |
| 『イカの骨』 | 1925年 | エウジェニオ・モンターレ | 詩集 |
| これが人間か | 1947年 | プリーモ・レーヴィ | 証言 |
| 見えない都市 | 1972年 | イタロ・カルヴィーノ | 小説 |
| 薔薇の名前 | 1980年 | ウンベルト・エーコ | 小説 |
ピランデッロは、人格が一つではないことを舞台の構造で示した
ピランデッロの作者を探す六人の登場人物(1921年)は、稽古中の劇場に、作者に見捨てられた六人の登場人物が現れるところから始まる。
その六人は自分たちの話を完成させてくれと要求する。俳優がそれを演じようとすると、登場人物は、違う、それは我々ではない、と言う。演劇が演劇の内部を主題にしている。 舞台と客席の境、俳優と役の境が崩れる。初演は騒然となったと伝えられる。
小説『故マッティア・パスカル』では、死んだと誤認された男が別人として生き直そうとして失敗する。戸籍のない人間は社会的に存在できないという発見に至る。
一貫した主題がある。人格は一つではなく、他人が見る数だけある。 そして本当の自分というものは取り出せない。1934年にノーベル文学賞を受賞したが、ファシズム政権との関係については評価が分かれている。
ズヴェーヴォは、ジョイスの紹介で六十歳過ぎに発見された
ズヴェーヴォは本業が実業家で、小説は長く売れなかった。
ゼーノの意識(1923年)は、禁煙できない男が精神分析医の指示で書いた手記、という体裁をとる。語り手は自分に嘘をつく。 読者はその嘘を透かして読むことになる。
トリエステで英語を習った相手がジョイスだった。ジョイスがフランスの批評家に紹介したことで、六十歳を過ぎてから評価が始まる。母語のイタリア語がトリエステ方言の影響を受けており、文章が下手だと批判されたこともある。
詩は、語を切り詰めて説明を排する方向へ進んだ
モンターレ、ウンガレッティ、クアジーモドらの詩はと呼ばれた。
言葉を切り詰め、説明を排し、イメージだけを置く。ファシズム期の検閲下で、明示的に語らない方法として機能した面もある。モンターレは1975年、クアジーモドは1959年にノーベル文学賞を受けている。
レーヴィは、告発ではなく観察として収容所を記述した
レーヴィは化学者で、パルチザンとして捕らえられアウシュヴィッツに送られた。生還後にこれが人間かを書いている。
文体が特異である。告発でも感傷でもなく、化学者の観察のように事実を積む。 極限の状況で人間がどう変質するかを、記述の対象として扱う。
「灰色の領域」という概念を提示した。加害と被害の二分では捉えられない、強制の下で他の囚人を管理させられた者たちの位置を指す。
初版はほとんど売れなかった。数年後に再刊されて広く読まれるようになる。証言の文学がどう受け取られるかという問題自体を、この受容の歴史が示している。
戦後、ネオレアリズモから物語の実験へ移った
戦後、抵抗運動と貧困を主題にしたが起こる。映画と並行した運動であり、文学ではパヴェーゼ、ヴィットリーニらが関わった。
やがて別の方向が現れる。カルヴィーノは抵抗運動の経験から出発しながら、次第に構造の実験へ移った。『冬の夜ひとりの旅人が』は、読者が本を読み始めるたびに中断される小説である。見えない都市は都市の描写を積み重ねた散文詩に近い。物語の仕組みそのものを素材にするという点で、ボルヘスやフランスのウリポと同じ場所にいる。
エーコはの研究者で、薔薇の名前(1980年)を書いた。14世紀の修道院の連続殺人という推理小説の形式で、中世の神学論争と記号解釈の問題を扱う。世界的なベストセラーになった。難解な学問と娯楽小説を同居させたことが、この作品の位置を決めている。
20世紀が残したのは、自我の解体と、証言の文体
| 中身 | |
|---|---|
| 自我の解体 | ピランデッロは人格が一つではないことを舞台の構造で示した |
| 遅れた発見 | イタロ・ズヴェーヴォはジェイムズ・ジョイスの紹介によって六十歳過ぎに評価された |
| 証言の文体 | プリーモ・レーヴィは告発ではなく観察として強制収容所を記述した |
| 物語への回帰 | イタロ・カルヴィーノとウンベルト・エーコは仕組みを見せながら物語を作った |