イタリア文学 20世紀以降
通史では、この時代を「自我の解体と、証言」と要約した。ここではその中身を開く。
二十世紀のイタリア文学には、大きく三つの流れがある。世紀前半の自我をめぐる実験、戦後のネオレアリズモと証言、そして後半の物語への回帰である。
ピランデッロ — 人格は一つではない
ピランデッロの作者を探す六人の登場人物(作者を探す六人の登場人物、一九二一年)は、稽古中の劇場に、作者に見捨てられた六人の登場人物が現れるところから始まる。
彼らは自分たちの話を完成させてくれと要求する。俳優がそれを演じようとすると、登場人物は「違う、それは我々ではない」と言う。
演劇が演劇の内部を主題にしている。 舞台と客席の境、俳優と役の境が崩れる。初演は騒然となったと伝えられる。
小説『故マッティア・パスカル』では、死んだと誤認された男が別人として生き直そうとして失敗する。戸籍のない人間は社会的に存在できないという発見に至る。
一貫した主題がある。人格は一つではなく、他人が見る数だけある。 そして本当の自分というものは取り出せない。
一九三四年にノーベル文学賞。ファシズム政権との関係については評価が分かれている。
ズヴェーヴォ — 遅れて発見された作家
イタロ・ズヴェーヴォは本業が実業家で、小説は長く売れなかった。
ゼーノの意識(ゼーノの意識、一九二三年)は、禁煙できない男が精神分析医の指示で書いた手記、という体裁をとる。語り手は自分に嘘をつく。 読者はその嘘を透かして読むことになる。
トリエステで英語を習った相手がジェイムズ・ジョイスだった。ジョイスがフランスの批評家に紹介したことで、六十歳を過ぎてから評価が始まった。 母語のイタリア語がトリエステ方言の影響を受けており、文章が「下手だ」と批判されたこともある。
詩 — エルメティズモ
エウジェニオ・モンターレ、ウンガレッティ、クアジーモドらの詩はエルメティズモ(密教的な詩)と呼ばれた。
言葉を切り詰め、説明を排し、イメージだけを置く。ファシズム期の検閲下で、明示的に語らない方法として機能した面もある。モンターレは一九七五年、クアジーモドは一九五九年にノーベル文学賞を受けている。
レーヴィ — 証言としての文学
プリーモ・レーヴィは化学者で、パルチザンとして捕らえられアウシュヴィッツに送られた。生還後にこれが人間か(これが人間か)を書いた。
文体が特異である。 告発でも感傷でもなく、化学者の観察のように事実を積む。極限状況で人間がどう変質するかを、記述の対象として扱う。
「灰色の領域」という概念を提示した。加害と被害の二分では捉えられない、強制の下で他の囚人を管理させられた者たちの位置を指す。
初版はほとんど売れなかった。 数年後に再刊されて広く読まれるようになる。証言文学がどう受け取られるかという問題自体を、この受容史が示している。
戦後 — ネオレアリズモとその後
戦後、抵抗運動と貧困を主題にしたネオレアリズモが起こる。映画と並行した運動であり、文学ではチェーザレ・パヴェーゼ、ヴィットリーニらが関わった。
やがて別の方向が現れる。
イタロ・カルヴィーノは抵抗運動の経験から出発しながら、次第に構造の実験へ移った。『冬の夜ひとりの旅人が』は、読者が本を読み始めるたびに中断される小説である。見えない都市は都市の描写を積み重ねた散文詩に近い。物語の仕組みそのものを素材にするという点で、ボルヘスやフランスのウリポと同じ場所にいる。
ウンベルト・エーコは記号論の研究者で、薔薇の名前(薔薇の名前、一九八〇年)を書いた。十四世紀の修道院の連続殺人という推理小説の形式で、中世の神学論争と記号解釈の問題を扱う。 世界的なベストセラーになった。
難解な学問と娯楽小説を同居させたことが、この作品の位置を決めている。
この時代をどう読むか
| 中身 | |
|---|---|
| 自我の解体 | ピランデッロは人格が一つではないことを舞台の構造で示した |
| 遅れた発見 | イタロ・ズヴェーヴォはジェイムズ・ジョイスの紹介によって六十歳過ぎに評価された |
| 証言の文体 | プリーモ・レーヴィは告発ではなく観察として強制収容所を記述した |
| 物語への回帰 | イタロ・カルヴィーノとウンベルト・エーコは仕組みを見せながら物語を作った |