イタリア俗語文学の始まり

イタリア文学 俗語文学の始まり

通史では、この時代を「十四世紀の三人」と要約した。ここではその中身を開く。

この百年ほどの間に、三人の作家が同じ地域に現れた。 ダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョ。三人ともトスカーナの出身か、その言葉で書いた。

彼らがやったことは、作品を残したことだけではない。イタリア語という文学の言語を、事実上作った。 そして、その選択がヨーロッパ全体の俗語文学の出発点になる。

前提 — 何を選ばなかったか

当時、書くべき言語はラテン語だった。神学も法学も歴史も、真面目な内容はすべてラテン語である。俗語は日常の話し言葉であり、文学の言語とは見なされていない。

その常識を破ったことが、この時代の意味である。

しかも当時のイタリアには、統一された「イタリア語」が存在しない。各都市が別の方言を話していた。三人が使ったトスカーナ方言が、彼らの権威によって後の標準イタリア語になっていく。

これはジェフリー・チョーサーがロンドン方言を標準英語にしたのと同じ構図である。国家ではなく作家が言語の標準を決めた。

ダンテ — 地獄から天国まで

ダンテ・アリギエーリ神曲(一三〇八〜二一年)は、地獄・煉獄・天国を巡る旅を、三行連という韻律で書いた長篇である。

規模と構成が異様に緻密である。 全体が三部からなり、各部が三十三歌(地獄篇のみ序歌を加えて三十四)で、合計百歌。三という数が全体を貫いている。

内容は、実在の人物が具体的な罰を受けている場面の連続である。政敵、教皇、同時代のフィレンツェ市民が実名で地獄に置かれる。政治的な文書としても読める。 彼自身、政争に敗れて故郷を追放され、二度と戻れないまま客死している。

案内人はウェルギリウスである。千三百年前のローマの詩人を導き手に選んだ。 ただしウェルギリウスは異教徒であるため天国へは入れず、途中で退場する。古代への敬意と、そこから離れる意志の両方がこの構造に現れている。

『新生』(新生)は、ベアトリーチェへの愛を詩と散文の解説で構成した作品である。詩に自分で註釈をつけるという形式で、後の詩集の作り方に影響した。

彼はまた『俗語論』で、俗語で書くことの正当性を論じた。皮肉なことに、この論はラテン語で書かれている。

ペトラルカ — ソネットをヨーロッパに広める

ペトラルカカンツォニエーレは、ラウラという女性への愛を三百篇余りの詩で歌った詩集である。

ソネットという形式を洗練させ、ヨーロッパ全体に広めた。 十四行の中で、期待と失望、聖と俗、生と死が対比される。相手は手の届かない存在であり、その苦しみ自体が詩の主題になる。

「ペトラルカ主義」という語が生まれるほど、恋愛詩の型を決定した。 イギリスではワイアットとサリーが英語に移し、そこからウィリアム・シェイクスピアのソネットへつながる。フランスではピエール・ド・ロンサールらプレイヤード派がこれを受け継ぐ。

もう一つの顔がある。彼は古典の写本を探し歩いた最初期の人文主義者だった。 忘れられていたキケロの書簡集を発見し、古代の著作家に宛てた手紙を書いた。古代を「取り戻すべきもの」として意識する態度が、ここでルネサンスの前提になる。

自分ではラテン語の著作を主要な仕事と考えていたとされる。俗語の恋愛詩は余技のつもりだった。後世の評価が本人の意図と食い違った例である。

ボッカッチョ — 百の物語

ボッカッチョデカメロン(一三四九〜五三年)は、ペストを逃れて郊外の別荘にこもった十人の男女が、十日間で一日十話ずつ語るという構成をとる。

枠物語の形式であり、ジェフリー・チョーサーカンタベリー物語が直接この影響下にある。

内容は多様である。恋愛、頓智、色事、聖職者への皮肉。神の摂理より人間の機知が勝つ話が多く、中世的な価値観からの転換が見える。

冒頭に置かれたペストの描写は、同時代の疫病の記録としても読まれてきた。 死が日常になった状況で、人々が語ることによって生を回復する、という構造になっている。

彼もまた古典の収集と研究に努め、ダンテ・アリギエーリの伝記と註釈を書いた。「神曲」という呼称は、彼が「神聖な」と形容したことに由来するとされる(ダンテ自身の題名は『喜劇』だった)。

この時代をどう読むか

中身
言語の選択ラテン語ではなく俗語で書いた。ヨーロッパの俗語文学の出発点
標準語の成立トスカーナ方言が三人の権威によって標準イタリア語になった
形式の輸出ソネットと枠物語がヨーロッパ中に広がった
古代の再発見ペトラルカの写本探索が、ルネサンスの前提を作った

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