ゼーノの意識
- 原題
- La Coscienza di Zeno
- 作者
- イタロ・ズヴェーヴォ
- 成立
- 1923
- 国
- イタリア
- 時代
- 20世紀以降
概要
1923年に刊行された長篇小説である。作者は当時61歳、トリエステの塗料会社の経営者だった。
構成が変わっている。冒頭に、精神分析医による短い序文が置かれる。患者ゼーノ・コジーニに自伝を書かせたが、治療を中断して去ったので、腹いせに公表する、という趣旨である。以後の本文はすべて、この医師が公表した患者の手記ということになる。
手記は年代順ではなく、主題ごとに章立てされる。喫煙、父の死、結婚、愛人、商売の相手、そして精神分析。ゼーノは自分に都合よく書いており、書いていることが本当かどうか、本人にも読者にも確かめられない。
主題は、治らない習慣と、自分を欺く能力である。ゼーノは五十年にわたり「最後の一本」を吸い続けている。禁煙の決意には必ず日付が記され、その日付の語呂合わせの美しさが決意の理由になっていたりする。
文体は平明で、喜劇的な調子が全篇を貫く。イタリア文学の中で、トリエステの言葉の影響を受けた作品として位置づけられる。
ズヴェーヴォは1861年、当時オーストリア帝国領だったトリエステに生まれた。本名はエットレ・シュミッツ。ユダヤ系の商家の出で、ドイツ語で教育を受け、イタリア語は後から身につけた。筆名は「イタリア人のシュヴァーベン人」を意味し、二つの文化の間にいる立場を示す。
1892年と1898年に長篇を発表したが、いずれも売れず、批評も出なかった。以後二十年以上、小説を書くことをやめ、義父の塗料会社の経営に専念した。
転機は英語の個人教授だった。1907年から、トリエステで英語を教えていたジョイスの生徒になる。ジョイスはズヴェーヴォの旧作を読んで高く評価し、執筆を続けるよう勧めた。二人は互いの原稿を読み合う関係になる。
この作品は1923年、ボローニャの出版社から著者の負担に近い形で刊行された。イタリアでは黙殺された。ズヴェーヴォは献本をジョイスに送り、ジョイスはこれをフランスの批評家に紹介する。1925年から翌年にかけてフランスで評価が起こり、逆輸入の形でイタリアでも注目されるようになった。
1928年、交通事故により死去した。搬送先で、最後の一本を吸わせてくれと頼んだと伝えられる。
文学史における評価と影響
20世紀イタリア小説の出発点に置かれる。19世紀のイタリア小説がマンゾーニ以来の写実の系譜にあったのに対し、この作品は内面の記述と、語り手への不信を導入した。
信頼できない語り手の手法が、この作品の中心にある。ゼーノは自分に都合よく事実を並べ、動機を後から作り、忘れたふりをする。読者はその歪みを推測しながら読むことになる。冒頭の医師の序文が「腹いせに公表する」と述べていることで、手記そのものの位置づけも揺らぐ。
精神分析との関係も重要である。ズヴェーヴォはフロイトの著作を読み、義兄の治療の経過を見ていた。作中で精神分析は肯定も否定もされない。診断は図式的で、ゼーノは治らないまま商売で成功する。治療を拒んだ患者が、社会的には最も順応しているという結末が置かれる。
同時代の作家との関係では、ジョイス、プルースト、トーマス・マンと並べられる。とくに病と健康の主題では、魔の山との比較が行われる。ゼーノは自分を病人と考え続け、実際には周囲の誰よりも生き延びる。
トリエステという場も、この作品の背景として論じられる。オーストリア帝国の港湾都市で、イタリア語・ドイツ語・スロヴェニア語が混在し、複数の文化が交わっていた。この土地の書き手として、ズヴェーヴォは国民文学の枠に収まらない位置にある。
日本でも訳が読める。長いが、章ごとに独立性が高い。
あらすじ
医師の序文に続いて、ゼーノの手記が始まる。
「煙草」の章。ゼーノは二十歳の頃から禁煙を試み続けている。手帳や壁には「最後の一本」の日付が並ぶ。日付の数字の並びが良いことが、その日を選んだ理由になっている。療養所に入って外から鍵をかけさせたこともあるが、看護婦を口説いて出してもらった。禁煙できない理由を、ゼーノは病気のせいだと考えている。
「父の死」の章。ゼーノと父の関係は、互いを理解できないまま続いてきた。父は息子を無能と見なし、財産管理を第三者に委ねた。父が倒れ、危篤の床で医師が安静を命じたにもかかわらず、ゼーノは父を起こそうとする。父は腕を振り上げ、その手がゼーノの頬に落ちて、そのまま息絶える。それが最後の平手打ちだったのか、倒れた拍子だったのかは分からない。 ゼーノは生涯この場面を反芻する。
「妻の話」の章。ゼーノはマルファッティ家の四姉妹のうち、美しいアーダに恋する。求婚するが断られる。その場で次女アルベルタに求婚し、断られる。同じ夜、三女のアウグスタに求婚する。アウグスタは斜視で、美しくないとされている。承諾され、二人は結婚する。
結婚生活は、意外にも安定する。アウグスタは健康で、規則正しく、家庭を穏やかに保つ。ゼーノはその平凡な幸福に居心地の悪さを感じながら、同時に守られている。
「愛人」の章。ゼーノは歌手志望のカルラを囲う。関係を続けながら、毎回これが最後だと決意する。禁煙と同じ構造である。カルラは結局、声楽教師と結婚してゼーノから離れる。
「商売の相手」の章。アーダの夫グイードは、美しく才能があるとされてきた男だが、事業に失敗し借金を重ねる。妻の同情を引くために狂言自殺を繰り返し、ある夜、量を間違えて本当に死ぬ。ゼーノは葬儀に向かう途中、行列を間違えて別人の葬列に付いて行ってしまう。
「精神分析」の章。ゼーノは治療を受け、医師からエディプス・コンプレックスであると診断される。ゼーノはこれを受け入れず、治療を中断する。自分は病気ではない、病気なのは人生のほうだと書く。
末尾は1916年、第一次世界大戦下に置かれる。ゼーノは商売で成功している。手記は文明への考察で閉じられる。人間は道具を作ることで進歩したが、その道具は身体に属していない。いつか誰かが、他の爆薬とは比べものにならない爆発物を作り、地球ごと吹き飛ばすだろう。そのとき地球は寄生虫も病気もない状態に戻る、という趣旨である。