イタリア・ルネサンスの文学 — マキァヴェッリと騎士道物語
イタリア・ルネサンスの文学は、1400年頃から1600年頃までを指す。
ルネサンスは古代の復興と説明されるが、実際に何が起きたのかを具体的に見ると、答えは物理的である。読める文献が増えた。
古代が「再発見」された理由は三つある
修道院の書庫からの発掘。 ペトラルカ以来の人文主義者が、ヨーロッパ各地の修道院を回って忘れられた写本を探した。キケロの書簡、ルクレティウスの物の本質についてなどがこうして戻ってきた。
ルネサンスを準備した一因が、ビザンツからの流入である。1453年のコンスタンティノープル陥落の前後に、ギリシャ語の写本と、それを読める学者がイタリアへ渡った。プラトンの著作が西欧で本格的に読まれるようになるのはこの流れによる。中世西欧が知っていたギリシャ哲学は、主にアリストテレスのラテン語訳を通じたものだった。
印刷術。 15世紀後半、ヴェネツィアのアルドゥス・マヌティウスらが古典の校訂版を大量に刊行した。写本を借りて写す時代から、本を買う時代へ変わる。
この三つが重なって、知的な条件が一変した。ルネサンスの興奮は、思想の進歩というより、まず読めるものが増えたことから来ている。 この時代の学問の姿勢をと呼ぶ。
ルネサンス期イタリアの主な作品
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| 狂えるオルランド | 1516〜1532年 | アリオスト | 騎士道物語の詩 |
| 宮廷人 | 1528年 | カスティリオーネ | 対話(作法書) |
| 君主論 | 1513年執筆/1532年刊 | マキァヴェッリ | 政治論 |
| 『美術家列伝』 | 1550年 | ヴァザーリ | 伝記 |
| 解放されたエルサレム | 1581年 | タッソ | 叙事詩 |
マキァヴェッリは、政治を道徳から切り離した
マキァヴェッリの君主論(執筆1513年、刊行1532年)は、君主が権力を維持するための実務書である。
方法が新しかった。君主はどうあるべきかではなく、実際にどうすれば維持できるかを書いた。 道徳的に望ましいことと、政治的に有効なことは別だ、という前提に立つ。
有名な論点がいくつかある。愛されるより恐れられるほうが安全である。約束を守ることが不利になるなら守るべきではない。残酷さは必要なら一度に行い、恩恵は少しずつ与えるべきである。
マキャヴェリズムという語が生まれ、悪徳の代名詞になった。ただし本人は共和政の支持者であり、フィレンツェ共和国の官僚として働いていた。メディチ家の復権で失脚し、拷問を受けて追放された身で、復職を願ってこの書を献呈したとされる。
もう一つの著作『ディスコルシ』はリウィウスのローマ建国史への註釈という形式をとり、共和政の優位を論じている。二冊を並べると評価が変わるため、どちらを本心と見るかで解釈が分かれてきた。
騎士道物語は、型を使いながら型を笑った
アリオストの狂えるオルランド(1516〜1532年)は、シャルルマーニュ伝説を素材にした長篇詩である。
真面目に語らない点が特徴である。英雄は月まで正気を取り戻しに行き、筋は次々に脱線し、語り手が読者に話しかける。騎士道物語の型を使いながら、その型を笑っている。 ヨーロッパ中で読まれ、スペンサーの妖精の女王や、後のセルバンテスに影響した。
タッソの解放されたエルサレム(1581年)は第一回十字軍を主題にする。アリオストの奔放さに対し、こちらは統一と荘重を重んじた。対抗宗教改革の時代の作品であり、宗教的な正しさへの配慮が作品に緊張を与えている。 作者は自作の正統性をめぐって苦しみ、晩年は精神を病んだ。
カスティリオーネは、ヨーロッパ貴族の作法を規定した
カスティリオーネの宮廷人(1528年)は、理想的な宮廷人の資質を対話の形式で論じた書物である。
有名な概念が「スプレッツァトゥーラ」——努力の跡を見せないこと。何事も苦もなくやってのけているように見せる技術である。
この書はヨーロッパ各国の宮廷文化の教科書になった。英訳・仏訳・西訳が出て、貴族の振る舞いの規範を提供している。文学作品というより行動の指南書だが、ヨーロッパの上流社会の作法を規定したという点で影響が大きい。
ヴァザーリの『美術家列伝』(1550年)は、ジョットからミケランジェロまでの画家・彫刻家の伝記を集めたもので、美術史という分野を事実上作った。ルネサンス(再生)という時代区分の考え方も、この書物に由来するとされる。ただし記述には創作や誇張が多く、史料として無批判には使えないことが今日では知られている。