カスティリオーネ

原綴
Baldassare Castiglione
生没
1478–1529
出身
カサーティコ(北イタリア・ロンバルディア州、マントヴァ近郊)
イタリア
時代
ルネサンス

生涯

1478年、マントヴァ近郊の貴族の家に生まれた。ミラノで教育を受けている。ギリシャ語とラテン語、そして宮廷で必要とされる作法を身につけた。当時のイタリアでは、古代の文献を読んで人間の生き方を学ぶの教育が広まっており、その典型的な課程にあたる。

各地の宮廷に仕えた。なかでも1504年から十年余りを過ごしたウルビーノの宮廷が、その生涯を決めた。中部イタリアの小さな宮廷だが、当時イタリアで最も洗練された文化の中心の一つだった。公爵グイドバルドとその妃エリザベッタ・ゴンザーガのもとに、詩人、画家、学者、貴族が集まる。画家ラファエロもその一人である。カスティリオーネは、この宮廷での日々を生涯にわたって理想として記憶し続けた。

外交官として各地に赴いた。ローマ、イギリス、そしてスペイン。教皇の使節として、神聖ローマ皇帝カール五世の宮廷にも駐在している。

その任地で破局が起きる。1527年、皇帝の軍がローマを襲って掠奪した。ローマ劫掠と呼ばれる事件で、ルネサンスの文化の中心が破壊された。カスティリオーネは教皇の代表として皇帝のもとにいながらこれを防げず、責任を問われることになる。深く傷ついたと伝えられる。1529年、スペインのトレドで死去した。五十歳だった。

ラファエロが描いた肖像画が残っている。ルーヴル美術館にあり、ルネサンスの教養人の姿を伝える名画として知られる。

作風

宮廷人は対話の形式をとる。ウルビーノの宮廷の夜、公爵夫人の部屋に集まった貴族と文人たちが、遊びとして議論を始める。理想の宮廷人とはどういう人物か。四夜にわたるその対話が、そのまま本の中身になっている。

登場するのは実在の人物である。カスティリオーネが若い日に実際に同席した人々が、名前のまま出てくる。彼らが語り、笑い、反論し、脱線する。誰か一人が正解を述べるのではなく、意見のぶつかり合いのなかから理想像が形になっていく。

宮廷人に求められるものは多い。武芸に優れ、馬を乗りこなし、剣を使えること。同時に学問を修め、ラテン語とギリシャ語を解し、詩を読み、自分でも書けること。楽器を奏で、絵を見る目を持ち、優雅に踊れること。会話に機知があり、礼儀正しく、女性を敬うこと。文武の両方を備えた全方位の教養が要求される。

その核心にあるのが「スプレッツァトゥーラ」という語である。訳しにくい言葉で、何事も苦もなくやっているように見せる技術を指す。実際には長い鍛錬を積んでいながら、それを感じさせない。努力の跡が見えた瞬間に優雅さは失われる、という考え方になる。技巧を隠すことが最高の技巧である、という逆説がここにある。

女性についての議論も含まれる。理想の宮廷の女性はどうあるべきか、という話題から、女性の能力そのものをめぐる対立に発展する。当時としては女性を擁護する側に立った議論も、はっきり書き込まれている。

最終巻で話題が変わる。恋愛と美の哲学に移り、目に見える美から始まって、より高い美へと魂が段階的に上っていく道が語られる。プラトンの思想を下敷きにしたものである。宮廷の作法を論じてきた本が、最後に哲学の高みで終わる。

作品

『宮廷人(Il Libro del Cortegiano)』(1528年)

代表作である。全4巻。ウルビーノの宮廷での四夜の対話という形式をとる。二十年近くかけて書き直され、死の前年に刊行された。

書簡も多く残る。外交官としての報告と私信からなり、当時の政治と文化を知る資料として価値が高い。

日本語では宮廷人の訳がある。

文学史における立ち位置と影響

ルネサンスで最も広く読まれた書物の一つである。

刊行後の百年で各国語に訳され、版を重ねた。イギリス、フランス、スペイン、ドイツ。宮廷に仕える者はこれを読み、そこに書かれた振る舞いを手本にした。

貴族の作法と教養の規範を作ったと言ってよい。何を学び、どう振る舞い、どう話すか。近世ヨーロッパの上流社会の理想像は、この一冊から形作られた。イギリスの「ジェントルマン」という理想も、遠くここに源を持つ。

「スプレッツァトゥーラ」の概念は、美学の問題として今も論じられている。努力を隠すこと、技巧を感じさせない技巧。この逆説は、芸術についても生き方についても繰り返し参照されてきた。

イギリス文学への影響がとくに大きい。エリザベス朝の宮廷文化はこの書物に多くを負っている。シドニーはその理想を体現した人物とされ、シェイクスピアの作品にも影響が指摘される。

対話篇としての完成度も高い。プラトンの対話篇に倣いながら、実在の人物の会話をそのまま再現した。ルネサンスの宮廷の空気をこれほど鮮やかに伝える文献は他にない。

そこには失われた世界への哀惜もある。この本が書かれたとき、ウルビーノのあの宮廷はすでになく、登場人物の多くは死んでいた。理想を示す本であると同時に、二度と戻らない時への追悼でもある。

日本での受容は、ルネサンス研究のなかで進んだ。宮廷人の翻訳もある。

作品

登場する文学史