アリオスト

原綴
Ludovico Ariosto
生没
1474–1533
出身
レッジョ・エミリア(北イタリア・エミリア=ロマーニャ州)
イタリア
時代
ルネサンス

生涯

1474年、北イタリアのレッジョ・エミリアに生まれた。父の意向で法律を学んだが性に合わず、文学に転じている。

父の死後、一家の生計を支えるため宮廷に仕えた。フェラーラを支配するエステ家である。当時イタリアで有力な文芸の庇護者だった。

だが宮廷勤めは快適ではなかった。仕えた枢機卿イッポリト・デステは、詩よりも実務を求める人物である。アリオストは外交の使者として各地に派遣され、教皇ユリウス二世との危険な交渉にも赴いた。詩を書く時間を削られ続けたことを、後に諷刺詩でこぼしている。

後に、山賊の横行する山岳地帯の統治官に任じられた。困難な任地だったが、三年務め上げている。

生涯の大仕事が狂えるオルランドだった。1516年に初版を刊行し、以後も改訂を重ねる。1532年の版が決定版にあたる。

晩年はフェラーラで静かに暮らした。小さな家を建て、庭を耕しながら詩を推敲する日々だったと伝えられる。1533年、五十八歳で死去した。

作風

素材はシャルルマーニュ(カール大帝)とその騎士たちの伝説である。中世を通じて語り継がれてきた話で、イタリアではボイアルドが『恋するオルランド』として詩にしていた。アリオストの作品は、未完に終わったその続きという形で始まる。

物語は無数の筋が絡み合う。キリスト教徒の騎士とサラセン人との戦争。騎士オルランドの美女アンジェリカへの恋。その恋が報われず、オルランドは正気を失う。裸で野を駆け回り、行く先々を破壊する。この狂気が題名の由来にあたる。失われた正気は月にあることになっており、それを取り戻すために別の騎士が天馬に乗って月まで飛ぶ。

この荒唐無稽さがこの詩の身上である。魔法使い、怪物、空飛ぶ馬、姿を消す指輪。驚異が次々に現れる。物語は絶えず脇道へそれ、ある筋を最も気になるところで中断して別の筋へ移る。読者を宙吊りにしたまま次の歌へ進む、この語りの技術が全体を引っ張っている。

語り口は軽やかで、諧謔に満ちている。アリオストはこの物語を真面目に語らない。語り手がしばしば顔を出し、読者に目配せをする。英雄的な行為も狂おしい恋も、どこか可笑しく描かれる。騎士道の世界を愛しながら、同時にそれを軽く笑う。この二重の態度が、この詩をルネサンスらしいものにしている。

詩形はオッターヴァ・リーマと呼ばれる八行一連の形式である。アリオストはこれを完璧に使いこなした。そのなめらかで優雅なイタリア語は、以後の規範になった。

作品

『狂えるオルランド(Orlando Furioso)』(1516年初版、1532年決定版)

代表作である。全46歌、四万行を超える。

『諷刺詩(Satire)』

七篇からなる。宮廷勤めの煩わしさや自分の境遇を、諧謔をまじえて率直に語る。詩人の実生活を知る資料としても読まれてきた。

喜劇も書いた。古代ローマの喜劇に倣ったこれらの作品は、イタリア・ルネサンス演劇の先駆にあたる。

日本語では狂えるオルランドの訳がある。

文学史における立ち位置と影響

イタリア・ルネサンスで最も愛された詩の一つである。

影響はヨーロッパ全体に及んだ。16世紀から17世紀にかけて各国語に訳され、熱狂的に読まれている。騎士道物語という古い素材を、豊かな空想と優雅な詩で蘇らせたことになる。

イギリスへの影響がとくに大きい。スペンサー妖精の女王は、これを直接の手本にしている。複数の筋を絡ませる構成、寓意の要素、騎士たちの遍歴。スペンサーはそこに道徳的な意味づけを加えた。シェイクスピアも『空騒ぎ』などでこの素材を使っている。

セルバンテスの『ドン・キホーテ』とも関わりが深い。騎士道物語を愛しながら笑う、というアリオストの態度が、セルバンテスの方法を準備した。ただしセルバンテスは、その笑いをより根本的なものにしている。

タッソとしばしば対比される。アリオストが軽やかで多様な筋を自由に広げるのに対し、タッソは統一的で宗教的で荘重である。ルネサンスと反宗教改革という時代の違いが、二人の詩に出ていると論じられてきた。

絵画やオペラの題材としても繰り返し使われた。ヘンデルの複数のオペラがこの物語に基づいている。

日本での受容は限られてきたが、ルネサンス叙事詩の代表として位置づけられている。

作品

登場する文学史