イタリア統一運動期・近代

イタリア文学 統一運動期・近代

通史では、この時代を「国語をどう作るか」と要約した。ここではその中身を開く。

十九世紀、イタリアは統一へ向かう。そして文学は、政治より先に一つの問題に直面した。

イタリア人が話す言葉が、地域ごとにばらばらだった。 統一時点で、標準イタリア語を日常的に使える人口は数パーセントだったとする推計がある。ナポリではナポリ語、ヴェネツィアではヴェネツィア語、シチリアではシチリア語が話されていた。

書き言葉としてのイタリア語はダンテ・アリギエーリ以来存在したが、それは五百年前の文学の言語である。日常の会話を書くには古すぎた。

近代国家には、全員が読み書きできる共通語が要る。 その言語をどう作るかが、この時代の文学の中心的な問題になった。

マンゾーニ — 小説を書き直す

マンゾーニ婚約者(婚約者)は、十七世紀のロンバルディアを舞台に、権力者に結婚を妨げられた庶民の男女を描く歴史小説である。

重要なのは、彼が同じ作品を二度書いたことである。

一八二七年に初版を出した後、彼はフィレンツェへ行き、現地で話されている言葉を採取した。 そして一八四〇〜四二年に、語彙も語法も全面的に置き換えた決定版を出す。「アルノ川で衣をすすぐ」と本人が表現したとされる。

なぜそこまでしたのか。統一されたイタリア語の規範を、小説の実作によって示そうとしたからである。文法書や辞書ではなく、多くの人が読む物語が言語の手本になる、という判断である。

この意図は実現した。この作品はイタリアの学校教育で必読とされ、標準イタリア語の形成に実際に作用した。

日本の言文一致と構造が同じ問題である。書き言葉と話し言葉の乖離をどう埋めるか。ただし日本では二葉亭四迷らが新しい文体を模索したのに対し、マンゾーニは既存の一地方の言葉を選んで規範に据えたという違いがある。

作品自体も、権力の恣意と民衆の忍耐を描いた点で、統一運動期の読者に強く響いた。

レオパルディ — 徹底した悲観

レオパルディカンティで、深い悲観を透明な言語で歌った。

主題は一貫している。自然は人間に無関心であり、幸福は幻想であり、希望は失われるためにある。 それを感傷的にではなく、透明で厳密な言語で書く。

貴族の家に生まれ、幼少期から古典を独学して健康を損ない、生涯病苦に苦しんだ。その境遇と思想を短絡的に結びつける読み方には注意が要るが、両者の関係は繰り返し論じられてきた。

散文の『ジバルドーネ』は膨大な省察の集積で、死後に刊行された。

十九世紀ヨーロッパの詩人の中でも屈指の評価を受けており、イタリア国外ではショーペンハウアーらが早くから注目した。

ヴェルガ — 南部の現実

世紀後半、ヴェルガヴェリズモ(真実主義)を掲げた。

フランスの自然主義の影響下にあるが、重点が違う。 ゾラが科学的な実験という枠組みを立てたのに対し、ヴェルガは話し言葉の再現に集中した。

シチリアの貧しい漁村を舞台に、方言のリズムを標準語の文章に持ち込む。語り手が消え、村人の視点と語り口がそのまま地の文になる。 作者の判断を排するという点ではギュスターヴ・フローベールと方向が同じである。

『マラヴォリア家の人々』では、貧困から抜け出そうとした一家が、その試みゆえに没落していく。統一されたイタリアの南部が置かれた状況が背景にある。

統一の後

一八六一年にイタリア王国が成立する。だが「イタリアは作った。次はイタリア人を作らねばならない」という言葉が残っているように、国民の形成はそこから始まった。

カルドゥッチは古典的な韻律を用いた詩で、新しい国家の詩人という位置に立った。一九〇六年、イタリア人として初めてノーベル文学賞を受賞している。 ただし今日の評価は当時ほど高くない。

この時代をどう読むか

中身
言語が先にある統一国家より前に、共通語をどう作るかが問題だった
書き直しという方法マンゾーニは小説を実作として言語の規範に据えた
悲観の透明さレオパルディは絶望を感傷ではなく厳密な言語で書いた
南部の現実ヴェルガは方言のリズムを標準語の散文に持ち込んだ

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