イタリア文学作者一覧ダンテ・アリギエーリ

ダンテ・アリギエーリ

生没
1265–1321
イタリア
時代
俗語文学の始まり

何をやったか

「真面目な内容はラテン語で書く」という千年の常識を破った。

当時の前提を確認する。 神学も哲学も法学も歴史も、価値ある内容はすべてラテン語で書かれた。俗語(各地の話し言葉)は、文学の言語ではない。

ダンテは神曲トスカーナの俗語で書いた。しかも扱った主題は、地獄・煉獄・天国という、最も神学的なものである。

軽い内容を俗語で書いたのではない。最も重い内容を俗語で書いた。 ここが決定的である。

結果として二つのことが起きた。

一、イタリア語ができた。 当時のイタリアには統一言語がない。ダンテらが使ったトスカーナ方言が、彼らの権威によって標準イタリア語になっていく。

二、ヨーロッパ各国が追随した。 ジェフリー・チョーサーが英語で、後にジョアシャン・デュ・ベレーがフランス語の擁護を宣言する。国語で文学を書くという道筋がここから開けた。

皮肉なことに、彼は『俗語論』——俗語の優位を論じた書——をラテン語で書いている。 論じるべき相手が、ラテン語しか認めない知識人だったためである。

神曲

神曲(一三〇八〜二一年頃)は、地獄・煉獄・天国を巡る旅を一人称で書いた長篇詩である。

構造

異様に緻密である。

三という数が全体を貫いている。 三位一体を反映した設計である。

題名は『喜劇(Commedia)』だった。 「神聖な(Divina)」を冠したのはボッカッチョの形容に由来するとされる。

中身

実在の人物が、具体的な罰を受けている。

政敵、教皇、同時代のフィレンツェ市民が実名で地獄に置かれる。当時の読者にとっては、これは政治文書でもあった。

罰は罪に対応している。姦淫の罪を犯した者は永遠に風に吹き回され、占い師は首を後ろに捩じられ、裏切り者は氷に閉じ込められる。

地獄の最下層は火ではなく氷である。 最も重い罪は裏切りとされ、サタンが氷の中で三つの口でユダとブルートゥスとカッシウスを噛んでいる。

案内人

前半の案内人はウェルギリウスである。千三百年前のローマの詩人を導き手にした。

だが天国へは入れない。 異教徒だからである。煉獄の頂で彼は退場し、以後はベアトリーチェが導く。

この構造に、古代への敬意と、そこから離れる意志の両方が現れている。

生涯 — 追放

フィレンツェの下級貴族の家に生まれた。

九歳のとき、ベアトリーチェという少女を見て恋に落ちたと自ら書いている。 彼女は他家に嫁ぎ、二十代で死んだ。実際の交渉はほとんどなかったとされる。

新生(新生)は、この愛を詩と散文の解説で構成した作品である。自作の詩に自分で註釈をつけるという形式で、後の詩集の作り方に影響した。

政治に関わった。 フィレンツェの政庁の要職に就いたが、教皇派と皇帝派の抗争、さらに教皇派内部の分裂の中で敗北する。

一三〇二年、追放。 帰れば火刑という判決だった。二度と故郷に戻らなかった。

各地の宮廷を頼って転々とし、神曲はこの亡命の二十年間に書かれた。ラヴェンナで死に、そこに葬られている。

フィレンツェは後に遺骨の返還を求めたが、ラヴェンナは応じなかった。 今日もダンテの墓はラヴェンナにある。

文学史の中の位置

ペトラルカボッカッチョと並んで「三詩星」と呼ばれ、イタリア文学の始祖とされる。

影響の範囲は、文学史の中でも屈指である。

日本でも明治期から訳され、森鴎外夏目漱石らが言及している。

代表作

新生(一二九三年頃) — ベアトリーチェへの愛を、詩と自註で構成した。

『饗宴』『俗語論』『帝政論』 — ラテン語または俗語で書かれた論考。

神曲(一三〇八〜二一年頃) — 主著。

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作品

登場する文学史

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