ギリシャ文学史
ギリシャ文学を読む理由は、それが古いからではない。ヨーロッパ文学が使っている道具のほとんどが、ここで作られたからである。
叙事詩、悲劇、喜劇、抒情詩、歴史叙述、対話篇、そして文学を論じる理論。これらのジャンルはギリシャで最初に形を与えられ、名前を与えられた。 今日われわれが「悲劇」「叙事詩」と呼ぶとき、その語はギリシャ語に由来している。
さらに重要なのは、作品だけでなく「文学とは何か」を論じる枠組みも同時に作られた点である。アリストテレスの詩学は、後の二千年にわたってヨーロッパの文学理論の出発点であり続けた。フランス17世紀の三単一の規則も、この書物の解釈(誤読を含む)から生まれている。
以下、その二千八百年を追う。
叙事詩の時代 — 声で伝えられた英雄譚
現存する最古のギリシャ文学がホメロスの名に帰されるイリアスとオデュッセイアである。成立は前八世紀頃とされる。
ホメロスが実在の個人だったかどうかは、決着していない。長い口承の伝統が一人の名前に集約されたとする説が有力だが、断定は避けるべきである。実際、作品には口承で伝えるための技術が刻まれている。決まり文句の反復、同じ形容の繰り返し、定型的な場面構成。これらは記憶と即興のための装置である。
イリアスはトロイア戦争の十年目の数十日を扱う。主題は戦争そのものではなく、アキレウスの怒りという一人の感情である。オデュッセイアは帰還の物語で、以後「故郷への長い帰還」という型は繰り返し用いられた。二十世紀にジェイムズ・ジョイスがユリシーズでこの構造を借りている。
同じ頃、ヘシオドスが神統記で神々の系譜を整理し、サッポーが個人の感情を歌う抒情詩を残した。集団の英雄譚と、個人の感情の歌が、最初期から並立している。
古典期 — 悲劇と、都市国家の言葉
前五世紀のアテナイで、悲劇が完成する。
悲劇は宗教的な祭礼の一部として上演された。年に一度、劇作家が競い、市民が観客として集まる。演劇が都市国家の公的な行事だったという条件が、この形式を決めている。
アイスキュロスが俳優を二人に増やして対話を可能にし、ソポクレスが三人に増やした。オイディプス王は、真相を追う王が、追えば追うほど自分の破滅に近づく構造を持つ。アリストテレスが詩学で理想的な悲劇として論じたのがこの作品である。
エウリピデスはさらに進み、神話の英雄を弱く、感情的で、理解しがたい人間として描いた。メデイアでは、裏切られた妻が復讐のために自分の子を殺す。当時から評価が割れ、その傾向が近代以降に再評価される。
喜劇ではアリストパネスが、実在の政治家やソポクレスらを実名で笑いものにした。言論の自由の範囲が今日より広かったことを示す資料でもある。
同じ時期、散文でも決定的な形式が生まれた。ヘロドトスが歴史で異民族の風習を含む広大な記述を残し、トゥキュディデスが戦史で神の介入を排して人間の行動から歴史を説明する方法を示した。この二人は「歴史の父」と「科学的歴史の祖」としてしばしば対比される。
そしてプラトンが対話篇という形式を作った。饗宴では、愛について語り合う宴が劇のように構成されている。哲学が文学の形式を持った例である。
ヘレニズム期 — 書物の文学へ
アレクサンドロスの東方遠征以後、ギリシャ語は地中海世界の共通語になった。中心はアテナイからアレクサンドリアへ移る。
ここで文学の性格が変わる。聞かれる文学から、読まれる文学へ。 アレクサンドリアの図書館に集まった学者が、過去の作品を校訂し、註釈をつけた。文献学が生まれる。
カリマコスは長大な叙事詩を否定し、短く磨き上げられた詩を主張した。アポロニオス・ロディオスは逆にアルゴナウティカという叙事詩を書いた。この対立は、後のローマ文学、さらにヨーロッパ全体の詩の議論に受け継がれる。
テオクリトスは牧歌を確立した。理想化された田園を舞台にするこの形式は、ウェルギリウスを経てルネサンス以降のヨーロッパ文学に長く生き続ける。
ローマ支配下の時代には、プルタルコスが対比列伝でギリシャ人とローマ人の生涯を対にして並べた。この書物は後にシェイクスピアの題材になっている。
ビザンツ — 千年の継続
西ローマ帝国が滅んだ後も、東ローマ(ビザンツ)帝国ではギリシャ語による著述が千年続いた。
プロコピオスが同時代史を書き、アンナ・コムネナは皇女として父の治世を記録した。女性が本格的な歴史叙述を残した早い例である。
この時期の役割で最も大きいのは、古代ギリシャの文献を写本として保存したことである。ルネサンス期のイタリアへ古典が流入したのは、ビザンツの学者が写本とともに西へ移動したことによる。イタリア・ルネサンスは、この継承の上に成立している。
近代・現代 — 二千年後の再出発
一四五三年のコンスタンティノープル陥落から、一八三〇年の独立まで、ギリシャはオスマン帝国の支配下にあった。
近代ギリシャ文学は、どの言語で書くかという問題から始まる。古典語に近い純正語(カサレヴサ)と、話し言葉に基づく民衆語(デモティキ)の対立が二十世紀まで続いた。日本の言文一致と構造の似た問題である。
コンスタンティノス・カヴァフィスはアレクサンドリアに生き、歴史上の場面を淡々と描く独特の詩を書いた。生前はほとんど無名だった。ニコス・カザンザキスはその男ゾルバで国際的な読者を得た。
ノーベル文学賞はヨルゴス・セフェリスが一九六三年、オディッセアス・エリティスが一九七九年に受けている。人口の規模に対して受賞者が多い。
この先へ
二千八百年を貫いているのは、形式を発明し、それに名前を与えたという事実である。悲劇も喜劇も叙事詩も歴史も、ここで枠が作られ、以後のヨーロッパ文学はその枠の中で、あるいはその枠と格闘しながら書かれた。
どこか一つに降りるなら古典期から。悲劇・喜劇・歴史・哲学が同じ都市の数十年に集中して現れた、密度の異常な時代である。
この遺産を直接引き継いだのがローマであり、そこからヨーロッパ全体へ広がった。