ギリシャ文学史 — 叙事詩・悲劇・哲学の源流

ギリシャ文学が読まれ続けているのは、それが古いからではない。ヨーロッパ文学が使っている形式のほとんどが、ここで作られたためである。叙事詩、悲劇、喜劇、抒情詩、歴史叙述、対話篇、そして文学を論じる理論。これらはギリシャで最初に形を与えられ、名前を与えられた。今日われわれが「悲劇」「叙事詩」と呼ぶとき、その語はギリシャ語に由来している。

作品だけでなく、文学とは何かを論じる枠組みも同時に作られた。アリストテレス詩学は、後の二千年にわたってヨーロッパの文学理論の出発点であり続けている。フランス17世紀の三単一の規則も、この書物の解釈(誤読を含む)から生まれた。

以下、五つの時代に分けて追う。文学の中心地が動いていくのがこの文学史の特徴で、全体の見取り図は次のようになる。

時代年代中心地文学に起きたこと代表作
叙事詩の時代前800〜前500年頃イオニア地方・エーゲ海の島々口で語られる英雄譚が文字に定着するイリアス オデュッセイア
古典期前500〜前323年アテナイ悲劇・喜劇・歴史・哲学が同時に完成するオイディプス王 饗宴
ヘレニズム期前323〜前31年アレクサンドリア聞く文学から、読む文学へアルゴナウティカ
ビザンツ330〜1453年コンスタンティノープル古典の写本が保存され、西へ渡る『アレクシアス』
近代・現代1453年〜アテナイ・アレクサンドリアどの言語で書くかという問題から再出発その男ゾルバ

叙事詩の時代(前800〜前500年頃/アルカイック期)— 声で伝えられた英雄譚

現存する最古のギリシャ文学が、ホメロスの名に帰されるイリアスオデュッセイアである。成立は前8世紀頃とされる。

ホメロスが実在の個人だったかどうかは決着していない。長い口承の伝統が一人の名前に集約されたとする説が有力だが、断定はできない。実際、作品には口で伝えるための技術が刻まれている。決まり文句の反復、同じ形容の繰り返し、定型的な場面構成。どれも記憶と即興のための装置である。

イリアスはトロイア戦争の十年目の数十日を扱う。主題は戦争そのものではなく、アキレウスの怒りという一人の感情である。オデュッセイアは帰還の物語で、以後「故郷への長い帰還」という型はくり返し用いられた。20世紀にジョイスユリシーズでこの構造を借りている。

同じ頃、ヘシオドス神統記で神々の系譜を整理し、サッポーが個人の感情を歌うを残した。集団の英雄譚と個人の感情の歌が、最初期から並び立っている。

作品成立作者種類
イリアス前8世紀頃ホメロスの名に帰される叙事詩
オデュッセイア前8世紀頃同上叙事詩
神統記前700年頃ヘシオドス神々の系譜を語る詩
『仕事と日々』前700年頃ヘシオドス教訓詩
恋愛詩(断片として現存)前600年頃サッポー抒情詩
『祝勝歌』前5世紀前半ピンダロス競技の勝者をたたえる歌

古典期(前500〜前323年/アテナイ民主政の時代)— 悲劇と、都市国家の言葉

前5世紀のアテナイで悲劇が完成する。悲劇は酒神ディオニュソスの祭礼の一部として上演された。年に一度、劇作家が競い、市民が観客として集まる。演劇が都市国家の公的な行事だったという条件が、この形式を決めている。舞台にはがいて、市民の目線から出来事を評した。

アイスキュロスが俳優を二人に増やして対話を可能にし、ソポクレスが三人に増やした。オイディプス王は、真相を追う王が、追えば追うほど自分の破滅に近づく構造を持つ。アリストテレス詩学で理想的な悲劇として論じたのがこの作品である。

エウリピデスはさらに進み、神話の英雄を、弱く、感情的で、理解しがたい人間として描いた。メデイアでは、裏切られた妻が復讐のために自分の子を殺す。当時から評価が割れたが、その傾向が近代以降に再評価される。

喜劇ではアリストパネスが、実在の政治家やソポクレスらを実名で笑いものにした。言論の許された範囲が今日より広かったことを示す資料でもある。

同じ時期、散文でも形式が決まった。ヘロドトス歴史で異民族の風習を含む広大な記述を残し、トゥキュディデス戦史で、神の介入を排して人間の行動から歴史を説明する方法を示した。この二人は「歴史の父」と「科学的歴史の祖」としてしばしば対比される。そしてプラトンという形式を作った。饗宴では、愛について語り合う宴が劇のように構成されている。哲学が文学の形式を持った例である。

作品成立作者種類
オレステイア前458年アイスキュロス悲劇三部作
アンティゴネ前441年頃ソポクレス悲劇
メデイア前431年エウリピデス悲劇
オイディプス王前429年頃ソポクレス悲劇
歴史前430年頃ヘロドトス歴史叙述
女の平和前411年アリストパネス喜劇
戦史前400年頃トゥキュディデス歴史叙述
饗宴前385年頃プラトン対話篇
詩学前335年頃アリストテレス文学理論

ヘレニズム期(前323〜前31年/アレクサンドロス以後)— 書物の文学へ

アレクサンドロスの東方遠征以後、ギリシャ語は地中海世界の共通語になった。文学の中心はアテナイからエジプトのアレクサンドリアへ移る。

ここで文学の性格が変わった。聞かれる文学から、読まれる文学へ。アレクサンドリアの図書館に集まった学者が、過去の作品の異なる写本を突き合わせて本文を定め、註釈をつける。文献学と呼ばれる学問がここで生まれた。

カリマコスは長大な叙事詩を否定し、短く磨き上げられた詩を主張した。アポロニオス・ロディオスは逆にアルゴナウティカという叙事詩を書く。長い詩か短い詩か、というこの対立は、後のローマ文学、さらにヨーロッパ全体の詩の議論に受け継がれた。

テオクリトスを確立した。理想化された田園を舞台にするこの形式は、ウェルギリウスを経てルネサンス以降のヨーロッパ文学に長く生き続ける。喜劇ではメナンドロスが、神話や政治ではなく家庭の恋愛沙汰を扱う型を作り、ローマのプラウトゥステレンティウスを経てヨーロッパ喜劇の骨格になった。

ローマ支配下の時代には、プルタルコス対比列伝でギリシャ人とローマ人の生涯を対にして並べている。この書物は後にシェイクスピアの題材になった。

作品成立作者種類
『気むずかし屋』前316年メナンドロス新喜劇
『アイティア(起源)』前3世紀カリマコス短詩の集成
アルゴナウティカ前3世紀アポロニオス・ロディオス叙事詩
『牧歌』前3世紀テオクリトス牧歌
対比列伝100年頃プルタルコス伝記
『本当の話』2世紀ルキアノス諷刺・空想旅行記

ビザンツ(330〜1453年/東ローマ帝国)— 千年の継続

西ローマ帝国が滅んだ後も、東ローマ(ビザンツ)帝国ではギリシャ語による著述が千年続いた。

プロコピオスは皇帝ユスティニアヌスの遠征を記録する一方、宮廷の内幕を暴く『秘史』を残している。アンナ・コムネナは皇女として父アレクシオス1世の治世を記録した。女性が本格的な歴史叙述を残した早い例である。

この時期の役割で最も大きいのは、古代ギリシャの文献を写本として保存したことである。ルネサンス期のイタリアへ古典が流入したのは、ビザンツの学者が写本とともに西へ移動したためで、イタリア・ルネサンスはこの継承の上に成立している。

作品成立作者種類
『戦史』『秘史』6世紀プロコピオス歴史叙述
『ディゲニス・アクリタス』12世紀頃未詳叙事詩
『アレクシアス』1148年頃アンナ・コムネナ歴史叙述

近代・現代(1453年〜/オスマン支配と独立以後)— 二千年後の再出発

1453年のコンスタンティノープル陥落から1830年の独立まで、ギリシャはオスマン帝国の支配下にあった。

近代ギリシャ文学は、どの言語で書くかという問題から始まる。古典語に近い純正語(カサレヴサ)と、話し言葉に基づく民衆語(デモティキ)の対立が20世紀まで続いた。日本の言文一致と構造の似た問題である。

カヴァフィスはエジプトのアレクサンドリアに生き、歴史上の場面を淡々と描く詩を書いた。生前はほとんど無名で、詩集は死後に編まれている。カザンザキスその男ゾルバで国際的な読者を得た。ノーベル文学賞はセフェリスが1963年、エリティスが1979年に受けており、人口の規模に対して受賞者が多い。

作品発表作者種類
『神話と歴史』1935年ヨルゴス・セフェリス詩集
詩集(154篇)1935年(死後)コンスタンティノス・カヴァフィス詩集
その男ゾルバ1946年ニコス・カザンザキス小説
『アクシオン・エスティ』1959年オディッセアス・エリティス長詩