プラトン

- 原綴
- Πλάτων
- 生没
- 前427頃–前347
- 出身
- アテナイ
- 国
- ギリシャ
- 時代
- 古典期
生涯
前427年頃、アテナイの名門の家に生まれた。政治家になることが期待される立場だった。
若くしてソクラテスに師事する。だが前399年、ソクラテスが裁判にかけられ、死刑になった。罪状は「国家の神々を認めず、若者を堕落させた」というものである。最も正しいと信じた人間を、民主政のアテナイが殺した。この出来事が決定的になり、プラトンは現実の政治に絶望して哲学へ向かう。
シチリアのシラクサへ三度渡り、僭主を哲人王に育てようとして失敗した。一度は奴隷として売られかけたという伝承がある。
アテナイ郊外に「アカデメイア」という学園を開いた。「アカデミー」の語源であり、九百年以上続いたとされる。アリストテレスはここで20年学んだ。前347年、80歳で死去した。
作風
プラトンの著作は、ほぼすべて対話篇である。ソクラテスをはじめとする実在の人物が登場し、場所と状況が設定され、会話が進む。論文ではない。
この形式には理由がある。ソクラテスは何も書かなかった。その哲学は問答という行為そのものだったため、書き留めるには対話の形が要る。また対話篇の多くは答えが出ないまま終わる。結論を与えるのではなく、読者に考えさせる仕掛けである。さらに、同じ主張でも誰の口から出るかによって意味が変わる。語る人物の性格と立場が、思想に付随する。
結果として、これらは文学作品として読める。人物には性格があり、場面には空気があり、会話には駆け引きがある。
饗宴がその代表である。悲劇作家アガトンの優勝祝いに集まった面々が、順番に「エロース(愛)」について演説する。それぞれの演説がその人物らしい。医者は医学的に語り、喜劇作家アリストパネスは神話を作って語る——人間はもともと二人が一体で、神に切り離されたので、失われた半身を探し続けている。ソクラテスは、巫女ディオティマから聞いた話として、美しい肉体への愛から出発してより高次の美へ登る道筋を語る。
そして最後に、酔ったアルキビアデスが乱入し、ソクラテス本人への愛を赤裸々に告白する。誘惑したが相手にされなかったという恥ずかしい話まで含めて。抽象的な愛の理論が積み上がった最後に、具体的で滑稽な、報われない愛が置かれる。この構成が対話篇の巧みさを示している。
比喩の使い方も知られる。『国家』の「洞窟の比喩」では、洞窟に縛られて壁の影だけを見ている囚人が、外に出て太陽を見るまでを描き、認識の段階を形にした。
作品
『ソクラテスの弁明』
裁判でのソクラテスの弁論である。プラトンの著作のなかで最も短く読みやすい。
愛をめぐる演説の連続で、最も文学的な対話篇とされる。
『国家』
正義とは何かを問い、理想の国家を構想する。詩人追放論と洞窟の比喩を含む。
『パイドン』
ソクラテスの最期の日を描き、魂の不滅を論じる。『パイドロス』は恋と、書くことについての対話で、書き言葉への批判を含む。
文学史における立ち位置と影響
文学史でプラトンが問題になる最大の論点は、『国家』の詩人追放論である。理由は二つ挙げられている。第一に、詩は真理から遠い。イデア(本当の実在)があり、現実の事物はその模倣であり、詩や絵はさらにその模倣である。模倣の模倣であり、真理から二重に隔たっている。第二に、詩は感情を煽る。悲劇を見た観客は泣き、嘆く。理性で抑えるべき感情を、詩は逆に育ててしまう。神々が嘘をつき争う姿を描くのも教育上有害である、とした。
名指しで批判されたのはホメロスだった。ギリシャ教育の中心にあった詩人を、正面から否定している。この主張の重さは、プラトン自身が優れた文章家であることによる。若い頃に悲劇を書いていたという伝承もある。文学の力を知っている人間が、その力ゆえに危険視した。
これに反論したのが弟子のアリストテレスである。『詩学』で、悲劇は感情を煽るのではなく「カタルシス(浄化)」をもたらすと論じた。文学は社会にとって有害か有益かという論争は、ここから始まり、以後二千年にわたって繰り返し戻ってくる問いになる。
対話という形式も受け継がれた。ルネサンス期に対話篇が流行し、カスティリオーネの宮廷人もこの形式をとる。ガリレオの『天文対話』も同様である。
イデア論の構図——目に見えるものの背後に真の実在があるという考え——は、象徴主義をはじめ、以後の文学の背景に繰り返し現れる。
西欧における受容には断絶がある。中世西欧ではアリストテレスのラテン語訳が主に読まれ、プラトンの著作はほとんど読めなかった。ルネサンス期にビザンツから写本が流入して、ようやく本格的に読まれるようになる。