ギリシャ文学作者一覧ホメロス

ホメロス

生没
前8世紀頃–不明
ギリシャ
時代
叙事詩の時代

何をやったか

ヨーロッパ文学の最初の作品とされる二つの叙事詩が、この名前に帰されている。

イリアス(イリアス)とオデュッセイア(オデュッセイア)。前八世紀頃に今の形になったと考えられている。

この二作が、以後三千年のヨーロッパ文学の出発点になった。 ウェルギリウスアエネイスも、ダンテ・アリギエーリの構想も、ジェイムズ・ジョイスユリシーズも、この二作を前提にしている。

ホメロス問題

まず、この作家について確実に言えることはほとんどない。

これを「ホメロス問題」と呼ぶ。

二十世紀に有力になったのが「口承定型説」である。 ミルマン・パリーとアルバート・ロードの研究による。

旧ユーゴスラヴィアで、文字を持たない吟遊詩人が長大な叙事詩を即興で歌う実例が調査された。 彼らは全体を暗記しているのではなく、「決まった言い回しの部品」を組み合わせて歌う。

ホメロスの叙事詩にも同じ特徴がある。 「足の速いアキレウス」「輝く眼のアテナ」「葡萄酒色の海」——同じ形容句が繰り返し現れる。 これは韻律の型に嵌まる部品であり、即興で歌うための道具である。

つまり「ホメロス」は、何世代もの吟遊詩人が積み重ねた伝統の名前かもしれない。

この説は今日広く受け入れられているが、「では最終的に今の形にまとめた個人がいたのか」という点は決着していない。

イリアス

イリアストロイア戦争の十年目の、五十日ほどの出来事を歌う。

戦争全体ではない。木馬も出てこない。 中心にあるのはアキレウスの怒りである。

総大将アガメムノンに戦利品の女を奪われたアキレウスは、戦線を離脱する。ギリシャ軍は劣勢になる。親友パトロクロスが彼の鎧を借りて出撃し、ヘクトルに殺される。 アキレウスは復讐のために戻り、ヘクトルを殺し、その死体を戦車で引きずり回す。

最後の場面が、この作品の到達点である。

ヘクトルの父プリアモス王が、単身で敵陣に入り、息子の遺体を返してくれと乞う。 アキレウスは自分の父を思い、二人は共に泣く。

敵と味方が、同じ喪失の中で並ぶ。 戦争を歌いながら、戦争の外に出る視点がここにある。

トロイア側が一方的な悪として書かれていないことも、繰り返し指摘される特徴である。

オデュッセイア

オデュッセイアは、トロイアからの帰還に十年を要したオデュッセウスの旅を歌う。

性格がイリアスと大きく違う。

構成が技巧的である。 冒頭は帰還の直前から始まり、主人公が過去の冒険を宴席で語るという形で遡る。時間の順に語らない構成が、すでにここにある。

帰り着いた家では、妻ペネロペイアに求婚者たちが群がっている。 オデュッセウスは乞食に変装して家に入り、正体を明かして皆殺しにする。

「家に帰る」という主題は、以後の文学が繰り返し使うことになる。ジェイムズ・ジョイスユリシーズがダブリンの一日にこの構造を移したのは、その最も有名な例である。

文学史の中の位置

古代ギリシャにおいて、この二作は教育の基礎だった。 暗誦され、引用され、「ギリシャ人を教育した詩人」と呼ばれた。

プラトンは『国家』で、詩人を理想国から追放すべきだと論じた。 神々が嘘をつき姦淫する姿を描くのは教育上有害だ、という理由である。批判の対象になるほど、その権威が大きかったということでもある。

アリストテレスは『詩学』で、逆に構成の巧みさを高く評価した。

ローマではウェルギリウスアエネイスで意識的にこれを継承した。前半をオデュッセイア的な放浪、後半をイリアス的な戦闘として構成している。

中世西欧では原典が読めなくなり、ラテン語経由の断片的な知識になった。 ダンテ・アリギエーリがホメロスを「詩人の王」と呼びながら会えないのは、ギリシャ語の伝統が途切れていたためである。

ルネサンス期にビザンツから写本と学者が流入して、ようやく西欧で本格的に読まれるようになった。

代表作

イリアス — アキレウスの怒りと、トロイア戦争の五十日。

オデュッセイア — 帰還の旅と、家の回復。

この先へ

作品

登場する文学史

本文からの参照をビルドが集めた自動生成。