対比列伝
- 原題
- Bioi Paralleloi
- 作者
- プルタルコス
- 成立
- 100年頃
- 国
- ギリシャ
- 時代
- ヘレニズム期
概要
100年前後に書かれた伝記集である。ギリシア人とローマ人を一人ずつ組み合わせ、二つの伝記を並べたのち、両者を比較する短い一篇を添える。この三点セットが一単位になっている。
現存するのは二十二組と、対を欠く単独の伝記四篇。失われた組もある。
組み合わせは、生涯の型や資質の類似で決まる。アレクサンドロスとカエサル、デモステネスとキケロ、テセウスとロムルス、アレクサンドロス配下のエウメネスとローマのセルトリウス。
方法が、アレクサンドロス伝の冒頭で述べられる。自分が書いているのは歴史ではなく生涯である。 最も輝かしい功業が、その人の徳や悪徳を最もよく示すとは限らない。ちょっとした言葉や冗談のほうが、大きな戦闘より人物を明らかにすることがある。だから細部を選ぶのであり、それを些事と責めないでほしい、と断る。
この方針の通り、逸話が多い。ある人物の食事の好み、返答の言葉、癖、死に際の一言。歴史書が採らない種類の記述が、この作品を面白くしている。
プルタルコスは46年頃、ギリシア中部のカイロネイアに生まれた。アテナイで学び、ローマにも滞在して講義を行った。晩年はデルポイのアポロン神殿で神官を務めている。生涯の大半を故郷で過ごし、その小さな町を離れなかったと自ら記す。
執筆はローマ帝国の支配下で行われた。ギリシアは政治的な独立を失って久しく、文化的な威信だけが残っていた。ギリシア人とローマ人を対にする構成には、両者を対等に扱うという意図がある。 ギリシア人読者にはローマの偉大さを、ローマ人読者にはギリシアの伝統を示す形になる。
伝記のほかに、倫理・宗教・自然をめぐる論考を多数残しており、これらは『モラリア(Moralia)』として伝わる。
執筆にあたっては、先行する歴史書と伝記、記録、口伝を用いた。史料批判の姿勢はトゥキュディデスほど厳密ではなく、複数の説を並べて読者に委ねることも多い。史実の正確さより、人物の性格を伝えることが目的に置かれている。
文学史における評価と影響
伝記というジャンルの古典である。個人の生涯を、その性格を明らかにするために書くという方針は、以後の伝記文学の枠組みになった。
後世への影響は、ルネサンス以降に決定的な形をとる。1559年、ジャック・アミヨによるフランス語訳が出て広く読まれた。モンテーニュはエセーでこの書を繰り返し引き、最も信頼する著者として扱っている。
1579年、トマス・ノースがアミヨ訳から英訳した。シェイクスピアのローマ劇は、この英訳を直接の材源にしている。『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクレオパトラ』『コリオレイナス』はいずれもプルタルコスの伝記から筋を得ており、台詞の一部は訳文の表現をほぼそのまま韻文に移したものである。クレオパトラの船の描写がその例として知られる。
18世紀には、革命期の政治的な読み物になった。フランス革命の指導者たちは古代の共和政の英雄をこの書から学び、自らをそれになぞらえた。ルソーは告白で、幼少期にこの書を読んで育ったと記している。
近代の歴史学からは、史料としての精度を批判されてきた。年代の誤り、逸話の無批判な採用、道徳的な枠組みへの当てはめ。それでも、失われた史書に依拠した記述を含むため、他に代えのない情報源でもある。
日本では複数の訳が読める。全訳のほか、有名な人物の伝記を集めた選集が読まれることが多い。任意の一篇から読める構成にあたる。
内容
有名な組をいくつか挙げる。
テセウスとロムルスは、それぞれアテナイとローマの建国伝説上の人物である。神話に近い時代を扱うため、著者は冒頭で、ここから先は確かめようのない領域に入ると断っている。
リュクルゴスとヌマは、それぞれスパルタとローマの制度を作ったとされる立法者である。スパルタの共同食事、鉄貨、少年の教育が詳述される。
アレクサンドロスとカエサルは、最も読まれてきた組にあたる。アレクサンドロス伝では、少年時代に暴れ馬ブケパロスを乗りこなす場面、アリストテレスに学んだこと、東方遠征での気性の変化が記される。カエサル伝には、ルビコン渡河、暗殺の日の記述がある。
デモステネスとキケロは、ともに弁論家で、ともに政争に敗れて非業の死を遂げた。デモステネスは吃音を克服するために口に小石を含んで話す練習をしたという逸話がここに記される。
アントニウスの伝記には、クレオパトラとの関係が詳述される。ローマ側の視点で書かれつつ、二人の宴、逃走、最期が長く語られる。
末尾の比較の章では、両者のどちらが優れていたかが論じられる。しばしば結論は明快でなく、それぞれの長所と短所が並べられる。