その男ゾルバ
- 原題
- Vios kai Politeia tou Alexi Zorba
- 作者
- ニコス・カザンザキス
- 成立
- 1946
- 国
- ギリシャ
- 時代
- 近代・現代
概要
1946年に刊行された長篇小説である。原題は「アレクシス・ゾルバの生涯と行状」にあたる。
語り手は名を明かされない若い知識人で、仏陀を主題にした原稿を書きながら暮らしている。友人から、書物ばかりで生きていないと責められ、クレタ島の休眠中の褐炭鉱を借りて事業を始めることにする。その出発の港で、六十過ぎの労働者アレクシス・ゾルバに出会い、一緒に来ると言われる。
二人の対比が作品の骨格をなす。語り手は考え、書き、ためらう。ゾルバは食べ、働き、踊り、女に惚れ、失敗しても引きずらない。理屈より先に体が動く。
筋の起伏は大きくない。炭鉱を掘り、村人と関わり、失敗する。その間に交わされる対話と、ゾルバの語る過去が本体にあたる。
カザンザキスは1883年、当時オスマン帝国領だったクレタ島に生まれた。生涯を通じて各地を旅し、ヨーロッパ、ソ連、中国、日本を訪れている。ニーチェとベルクソンに学び、仏教にも関心を持ち続けた。
モデルは実在する。ヨルゴス・ゾルバスという鉱夫で、1916年、カザンザキスがペロポネソス半島で褐炭鉱の事業に手を出した際に共に働いた。事業は失敗している。作中の出来事の大枠は、この体験に由来する。 舞台をクレタに移したのは作者の判断による。
執筆は1941年から翌年にかけて、ドイツ占領下のアイギナ島で行われた。刊行は1946年である。
代表作は他に『キリスト最後のこころみ(O Teleftaios Peirasmos)』があり、1988年にスコセッシによって映画化された際、各国で抗議運動が起きた。ギリシア正教会からは破門を求める動きもあった。カザンザキスは1957年に死去し、墓碑には「何も望まない、何も恐れない、私は自由だ」という趣旨の言葉が刻まれている。
文学史における評価と影響
20世紀ギリシア文学で最も国外に知られた作品である。各国語に訳され、1964年にマイケル・カコヤニス監督が映画化した。アンソニー・クインがゾルバを演じ、ミキス・テオドラキスの音楽とともに、海辺で踊る場面が広く知られるようになった。「ゾルバの踊り」として流通しているシルタキという踊りは、この映画のために作られたもので、伝統舞踊ではない。
主題としては、思考と生の対立が中心にある。語り手は書物を通じて世界を理解しようとし、ゾルバは身体で世界に触れる。ただし作品は単純に後者を称揚してはいない。ゾルバは自由である一方で、過去に戦争で人を殺しており、女に対して身勝手でもある。語り手はその生き方に憧れながら、最後まで同じようには生きられない。憧れが達成されないまま終わる構成になっている。
ギリシアという場の描き方も特徴的である。古代の遺産を持つ国としてではなく、貧しく、迷信深く、暴力的な村の共同体として書かれる。未亡人が公衆の面前で殺される場面、死者の家が略奪される場面は、その最も厳しい例にあたる。
作者の宗教への態度は、生涯にわたる論争の対象だった。神を否定するのではなく、格闘の相手として扱う姿勢が作品を貫く。この点は他の長篇でより明確に出る。
日本では訳が読める。映画から入る読者も多い。
あらすじ
クレタ行きの船を待つ港の café で、語り手はゾルバに声をかけられる。マケドニア出身の六十代で、鉱山も鍛冶も知っており、サンドゥーリという弦楽器を弾く。弾きたいときにしか弾かない、と言う。語り手は現場監督として雇う。
クレタに着き、二人は海辺の小屋に住む。近くの宿を営むのは、フランス人の老女オルタンス夫人である。かつて各国の提督に愛されたという過去を繰り返し語る。ゾルバは夫人と関係を持ち、いずれ結婚すると口約束をする。
炭鉱の作業が始まる。坑道は古く、崩落が起きる。ゾルバは、山の上の森から木材を運ぶための架線を作ることを提案し、語り手は資金を出す。
村では、若い未亡人が孤立している。村の男たちに言い寄られ、すべて退けているため憎まれてもいる。語り手はこの女に惹かれながら、近づけずにいる。ゾルバは、女が求めているのに応じないのは罪だと言って行くよう勧める。
ある夜、語り手は未亡人の家を訪ねる。翌日、この女に振られて自殺した青年の一件から、村人の怒りが爆発する。教会の前で女は取り囲まれ、青年の父親に首を切られる。ゾルバは止めに入るが間に合わない。
オルタンス夫人が病に倒れる。ゾルバは、死の床で結婚の約束を果たそうとする。夫人が息を引き取ると、村の女たちが家に押し入り、家財を鶏まで含めて根こそぎ持ち去る。
架線が完成する。落成の式が行われ、村の有力者と司祭が招かれる。最初の丸太を滑らせると、猛烈な速度で落ちて支柱が折れる。二本目、三本目も同じで、支柱は次々に倒れ、設備は完全に崩壊する。招待客は逃げ帰る。
残ったのは二人だけである。金は尽き、事業は終わった。語り手は、これでよかったのかもしれないと思う。ゾルバは羊を焼き、酒を飲み、そして踊る。語り手は、自分にも踊りを教えてくれと頼む。
二人は別れる。数年後、セルビアで暮らすゾルバから手紙が届く。緑色の石を見つけたから見に来い、と書いてある。語り手は行かない。やがて、ゾルバが死んだこと、死ぬ間際に窓枠に爪を立てて外を見ながら息絶えたこと、サンドゥーリを語り手に遺したことが伝えられる。