古典期のギリシャ文学 — 三大悲劇詩人とプラトン
古典期は前500年から、アレクサンドロス大王が没する前323年までを指す。
密度が異常な時代である。前5世紀のアテナイという一つの都市の、百年に満たない期間に、悲劇・喜劇・歴史叙述・哲学的対話篇が揃って現れ、しかもそれぞれが以後二千年の規範になった。
なぜこうなったのかは単純に説明できないが、条件はいくつか指摘できる。ペルシア戦争に勝って自信と富を得たこと、民主政のもとで言葉で人を説得する技術が実用的に重要だったこと、そして演劇が国家の公的な行事だったことである。
古典期の主な作品
| 作品 | 成立 | 作者 | 種類 |
|---|---|---|---|
| オレステイア | 前458年 | アイスキュロス | 悲劇三部作 |
| アンティゴネ | 前441年頃 | ソポクレス | 悲劇 |
| メデイア | 前431年 | エウリピデス | 悲劇 |
| オイディプス王 | 前429年頃 | ソポクレス | 悲劇 |
| 歴史 | 前430年頃 | ヘロドトス | 歴史叙述 |
| 女の平和 | 前411年 | アリストパネス | 喜劇 |
| 戦史 | 前400年頃 | トゥキュディデス | 歴史叙述 |
| 饗宴 | 前385年頃 | プラトン | |
| 詩学 | 前335年頃 | アリストテレス | 文学理論 |
悲劇は娯楽ではなく、年に一度の祭礼だった
まず前提を押さえる。ギリシャ悲劇は宗教的な祭礼の一部だった。
年に一度の大ディオニュシア祭で、劇作家が三人選ばれ、それぞれ四作を上演して優劣を競う。観客は市民全体で、数千人が野外の劇場に集まった。
上演の条件も特殊である。俳優は全員男性で、仮面をつけた。表情は変わらない。 舞台にはがいて、歌い、踊り、物語を論評する。
この条件が形式を決めている。表情が使えないから、言葉と身振りがすべてを担う。観客が既に神話の筋を知っているから、何が起きるかではなく、どう起きるかで見せる必要がある。
三人の悲劇詩人は、それぞれ別のものを持ち込んだ
アイスキュロスは俳優を一人から二人に増やした。これによって登場人物どうしの対話が可能になる。オレステイア(前458年)は現存する唯一の三部作で、殺人が殺人を呼ぶ連鎖が、最後に法廷という制度によって断ち切られる。私的な復讐から公的な裁判へという主題は、都市国家の成立そのものを扱っている。
ソポクレスは俳優を三人に増やした。オイディプス王(前429年頃)は、真相を追う王が、追えば追うほど自分の破滅に近づく構造を持つ。観客は真相を最初から知っている。だからこそ、主人公が近づいていく過程そのものが緊張になる。アリストテレスが詩学で理想的な悲劇として論じたのがこの作品である。アンティゴネでは、国家の法と血縁の掟が正面から衝突する。どちらにも理があり、どちらも滅びる。政治哲学の題材として今日まで論じられ続けている。
エウリピデスは神話の英雄を、弱く、感情的で、理解しがたい人間として描いた。メデイア(前431年)では、裏切られた妻が復讐のために自分の子を殺す。当時の評価は割れ、優勝回数も少ない。だがその傾向が近代以降に高く評価された。心理の複雑さ、既存の価値への懐疑、女性や奴隷への視線。同時代の評価と後世の評価が食い違う典型例である。
喜劇は、実在の人物を実名で笑いものにした
アリストパネスの喜劇は、政治家クレオンを攻撃し、エウリピデスを劇に登場させて作風をからかい、ソクラテスを詭弁家として描いた。女の平和(前411年)では、女たちが戦争をやめさせるために性的な交渉を拒否する。
これが上演を許されていたという事実は、当時の言論の範囲を示す資料でもある。ただし無制限だったわけではなく、時期によっては規制もあった。
なお、ソクラテスを描いた『雲』は、後のソクラテス裁判で不利な世論を作ったとする見方がある。喜劇が実際の政治的な帰結を持ちうるという例である。
歴史叙述は、最初から二つの方向へ分かれた
ヘロドトスの歴史はペルシア戦争を主題にするが、話が大きく脇へ逸れる。 エジプトの風習、スキタイの葬礼、各地の伝説。噂も神託も採録する。
「歴史の父」と呼ばれる一方、「嘘の父」とも呼ばれてきた。だが近年の考古学的な発見で、記述の一部が裏づけられている。単純に信頼できないと切り捨てるべきではない。
トゥキュディデスの戦史は方法が根本的に違う。神の介入を排し、人間の利害と権力から出来事を説明する。 自ら将軍として戦争に参加し、失敗して追放された立場から書いている。有名な「メロス島の対話」では、強者が弱者に対して、正義は対等な者の間にしか存在しない、と告げる。権力政治の記述として、国際政治学で今も読まれている。
この二人の対比は、歴史叙述の二つの方向を最初に示している。網羅と語りの面白さを取るか、因果の分析を取るか。
哲学は、文学の形式を使いながら文学を批判した
プラトンは対話篇という形式を作った。登場人物が議論を交わし、結論に至る(あるいは至らない)過程が劇のように書かれる。
饗宴では、宴の席で参加者が順番に愛について語る。それぞれの発言が話者の性格を表す構造になっており、思想書でありながら文学作品として読める。
皮肉なのは、プラトン自身が詩人を理想国家から追放すべきだと論じたことである。詩は真実の模倣の模倣であり、感情を煽るという理由による。文学の形式を最大限に使いながら、文学を批判した。
アリストテレスの詩学は、ヨーロッパ最初の体系的な文学理論である。悲劇を、筋・性格・思想などの要素に分解して分析した。ここで提示された概念——ミメーシス(模倣)、カタルシス(浄化)、筋の統一——は、以後二千年の文学理論の語彙になる。
そして重大な副作用がある。フランス17世紀の三単一の規則は、この書物の解釈から生まれた。ただしアリストテレスが明確に述べたのは筋の統一だけで、場所と時間の制限は後世の解釈者が付け加えたものである。 誤読が二千年後の演劇を縛ったことになる。