ギリシャ近代・現代

ギリシャ文学 近代・現代

通史では、この時代を「二千年後の再出発」と要約した。ここではその中身を開く。

一四五三年のコンスタンティノープル陥落から、一八三〇年の独立まで、ギリシャはオスマン帝国の支配下にあった。四百年近い断絶がある。

この時代の文学を理解する鍵は、古代の遺産がむしろ重荷になったという点にある。ホメロスソポクレスを生んだ国、という自己像と、四百年支配された現実との落差。近代ギリシャ文学は、この落差の中から出発する。

言語の問題 — カサレヴサとデモティキ

独立後、最初に争点になったのはどの言語で書くかだった。

純正語(カサレヴサ)民衆語(デモティキ)
性格古典ギリシャ語に近づけた人工的な書き言葉実際に話されている言葉
主張古代の栄光を継承すべき生きた言語で書くべき
使われた場行政・教育・新聞民謡・日常・後の文学

この対立が二十世紀後半まで続いた。 一九〇一年には新約聖書の民衆語訳をめぐって暴動が起き、死者が出ている(福音書事件)。言語の選択が政治的な争点であり、暴力を伴ったことになる。

デモティキが公式に国語として確定したのは一九七六年である。独立から百五十年近くかかった。

日本の言文一致構造が似ている。どちらも、古い書き言葉と話し言葉の乖離をどう埋めるかという問題であり、近代国家の形成と不可分だった。 ただし日本では数十年で決着したのに対し、ギリシャでは一世紀半を要した。

カヴァフィス — 歴史の一場面を切り取る

コンスタンティノス・カヴァフィスはエジプトのアレクサンドリアに生きた。ギリシャ本土の人ではない。

作品の多くはヘレニズム期やビザンツの歴史上の一場面を扱う。滅びゆく王国、敗北を待つ都市、忘れられた人物。感情を高ぶらせず、淡々と場面を提示して終わる。

「イタケ」は、オデュッセイアの帰還を人生の比喩として読み替えた詩である。目的地に着くことではなく、旅そのものに意味があるという趣旨で、広く知られている。

生前はほとんど無名だった。 詩集を商業出版せず、印刷した詩篇を知人に配っていた。国際的な評価が確立したのは死後である。

T・S・エリオットW・H・オーデンが高く評価し、英語圏を経由して世界に広まった。ギリシャ語の詩人が英語圏の評価を経て古典になるという経路は、この時代の周辺言語の文学に共通する現象である。

カザンザキス — 国際的な読者を得る

ニコス・カザンザキスその男ゾルバ(一九四六年)で国際的に読まれた。理性的で内向的な語り手と、本能のままに生きるゾルバの対比が主題である。

『最後の誘惑』はキリストを人間として描いたため、正教会とカトリック双方から強い反発を受けた。 映画化の際にも抗議が起きている。

オデュッセイアという長篇叙事詩も書いている。ホメロスの続きを二万行以上で書くという試みで、古代の遺産と正面から取り組んだ例である。

二人のノーベル賞詩人

ヨルゴス・セフェリス は外交官として各国に駐在しながら詩を書いた。一九六三年にノーベル文学賞を受賞。

主題は歴史の重みと亡命である。古代の神話が現代の風景に重なり、しかし救済にはならない。ギリシャという場所の過去と現在の落差が、繰り返し書かれる。

軍事政権(一九六七〜七四年)に対して公然と抗議した。その葬儀が反体制のデモになったことが知られている。

オディッセアス・エリティス は一九七九年に受賞した。エーゲ海の光と自然を主題にし、セフェリスの重さと対照的に明るく感覚的である。長篇詩『アクシオン・エスティ』は代表作とされ、後に作曲されて広く歌われた。

人口の規模に対してノーベル文学賞の受賞者が多い(二人)ことは、この国の文学の国際的な位置を示している。

現代

軍事政権期、多くの作家が沈黙か亡命を選んだ。民主化以後は主題も方法も多様化している。

近年は経済危機(二〇一〇年代)を背景にした作品も現れ、再び「ギリシャとは何か」を問う文学が書かれている。

この時代をどう読むか

中身
遺産の重さ古代の栄光が、近代の出発点ではなく重荷として働いた
言語闘争カサレヴサ対デモティキ。決着に一世紀半、死者も出た
周辺からの評価コンスタンティノス・カヴァフィスは英語圏を経由して古典になった
国際的な存在感人口規模に対してノーベル賞受賞者が多い

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