サッポー

巻き毛に金の髪飾りをつけ、筆記具と書板を手にした女性を描いたポンペイの壁画。
「サッポー」と通称されるポンペイの壁画。本人の肖像である確証はない
原綴
Σαπφώ
生没
前630頃–前570頃
出身
レスボス島
ギリシャ
時代
叙事詩の時代

生涯

前630年頃、エーゲ海のレスボス島に生まれたとされる。生没年はいずれも推定である。

貴族の家の出とされ、三人の兄弟がいたことが詩から分かる。うち一人がエジプトで遊女に入れあげたことを、姉として嘆く詩が残っている。夫と、クレイスという名の娘がいたとする伝承もあるが、確かではない。

政変によって一時シチリアへ亡命したと伝えられる。当時のレスボス島は貴族間の政争が続いており、詩人アルカイオスも同じ時期の同じ島にいた。

若い女性たちの集団の中心にいたらしいことが、詩から推測される。ただしそれが教育の場だったのか、宗教的な共同体だったのか、その性格は確定していない。

前570年頃に死去したとされる。恋に破れて岩から身を投げたという伝説があるが、後世の創作である。

伝記として確実に言えることは少ない。詩の「私」をどこまで作者自身と見てよいかという問題もあり、ここに書いた事柄の大半は推定を含む。

作風

サッポーの詩には、日常の身体を持つ一人の人間がいる。誰かを見て動揺し、嫉妬し、眠れない。その状態を、外から観察するように書く。

同時代と比べると位置がはっきりする。ホメロスの叙事詩は共同体の物語である。英雄がいて、戦争があり、神々が動く。「私」が出てくる場面でも、それは英雄の私である。サッポーは、個人の感情そのものを詩の主題にした。そして、その感情の対象の多くが女性である。

書き方の特徴は、感情を名指さないことにある。最もよく知られた断片31は、目の前である女性が男と談笑しているのを見ている場面から始まる。そこで「私」の身体に次々と変化が起きる。舌が折れ、皮膚の下を細かい炎が走り、目が見えず耳が鳴る。汗が流れ、全身が震える。草より青ざめ、死んだも同然になる。悲しいとも苦しいとも言わず、身体に起きていることだけを列挙していく。

「甘く苦い(グリュクピクロン)」という語をこの詩人が作ったとされる。恋は快と苦を同時に運ぶという把握が、ここで言語化された。

形式の面では、サッポー詩形(サッフォー体)と呼ばれる韻律の型を用いた。詩は竪琴に合わせて歌われるものであり、書かれた文字として読むものではなかった。

作品

古代には九巻にまとめられていたとされる。今日読めるのは、完全な形の詩が一篇ほどと、大量の断片である。

「アフロディテ讃歌」は、ほぼ完全な形で残る唯一の詩である。女神に呼びかけ、恋の助けを乞う。

断片31(「あの人は神にも等しいと思われる」で始まる)が最もよく知られた恋愛詩にあたる。

断片がどう伝わったかには二つの経路がある。一つは、他の著者が引用した部分である。文法書や修辞学の教科書に例文として引かれたものが残った。もう一つは、エジプトで出土したパピルスの切れ端で、ミイラを包む材料やゴミ捨て場から見つかる。

21世紀に入ってからも新しい断片が発見されている。2014年には兄について歌った詩がほぼ完全な形で公表された。ただし、この断片は出土経路の正当性をめぐって論争があり、扱いは定まっていない。

作品が失われた理由は、古代から中世にかけて写本が作られなくなったことによる。アイオリス方言で書かれていて読みにくかったこと、キリスト教時代に主題が忌避されたことなどが挙げられるが、教会が意図的に焼いたという説には確たる根拠がない。

日本語では岩波文庫などに訳がある。断片が並ぶ体裁なので、通読するというより、註とともに一片ずつ読む形になる。

文学史における立ち位置と影響

サッポーは西洋の抒情詩の出発点に置かれる。「抒情詩(リリック)」という語そのものが、竪琴(リラ)に合わせて歌うことに由来する。

恋愛詩の型を作った点で影響が大きい。断片31はローマのカトゥルスがラテン語に翻案しており、そこから西洋の恋愛詩の系譜が伸びていく。サッポー詩形もカトゥルスホラティウスがラテン語に移し、形式として受け継がれた。

古代には「第十のムーサ(詩神)」と呼ばれたという伝承があり、プラトンの作とされる詩句に帰されている。

近代以降の受容がとくに大きい。19世紀のロマン主義は、失われた古代の女性詩人という像を強く求めた。20世紀のフェミニズム批評とクィア批評は、女性が女性への欲望を書いた最初期の例として読み直した。「サッフィズム」「レズビアン」という語は、この詩人と島の名に由来する。ただし古代のサッポー像と、近代以降に作られたその像には距離があることに注意が要る。

断片であること自体も評価の対象になった。欠けた部分が余白として働くという読み方で、エズラ・パウンドら20世紀の詩人がこれを積極的に受け取っている。

残っているものが極端に少ないのに影響が大きいという点で、文学史のなかでも特異な位置にいる。

登場する文学史