フランス文学 20世紀以降
通史では、この世紀を「書くことそのものが主題になる」と要約した。ここではその中身を開く。
この世紀のフランス文学には一つの型がある。前の世代が作ったものを、次の世代が壊す。 19世紀から続く運動だが、二十世紀では壊す対象が「規則」ではなく小説という形式そのものになった点が違う。
心理を捨て、筋を捨て、登場人物を捨て、最後には「文学とは何か」を問うところまで行く。その果てに何が残ったかまでを追う。
プルースト — 入口に立つ人
マルセル・プルーストの失われた時を求めては一九一三年から死後の一九二七年にかけて刊行された。この世紀の入口にあり、同時に19世紀の完成でもある。
主題は記憶であり、同時にこの本を書くに至る過程そのものである。語り手は最後に、自分が書くべき本を発見する。読者がいま読み終えた本がその本である、という円環になっている。
書くことについて書くという構造が、この世紀の性格を最初に決めた。
第一篇は自費出版だった。大手のガリマール社が原稿を断っており、その判断に関わったアンドレ・ジッドは後に、生涯最大の過ちとして詫びる手紙を書いている。
第一次大戦とダダ、そしてシュルレアリスム
一九一四年からの戦争は、ヨーロッパの価値を破壊した。理性が進歩をもたらすという信念が、機械化された殺戮の前で崩れる。
その破壊を引き受ける形で、まずダダが起きる。芸術そのものを否定する運動である。それを継いで、アンドレ・ブルトンが一九二四年に『シュルレアリスム宣言』を発表した。
方法は自動記述である。理性の統制、美的・道徳的配慮をすべて外し、湧いてくるままに書く。フロイトの無意識の理論が背景にあり、ブルトン自身が戦時中に神経医学に携わった経験を持つ。
ポール・エリュアールは愛と自由を平明な言葉で歌い、ルイ・アラゴンは後に運動を離れて共産党の側へ行った。政治との関係をめぐる分裂が、この運動には一貫してつきまとう。
影響は文学の外へ広く出た。絵画、写真、映画、そして日本を含む各国の前衛へ届いている。
- 思潮としてまとめて見る: シュルレアリスム
セリーヌ — 話し言葉を文学に入れる
ルイ=フェルディナン・セリーヌは一九三二年の『夜の果てへの旅』で、書き言葉と話し言葉の境界を壊した。俗語、省略、感嘆、途切れる文。耳で聞こえる言葉のリズムを、そのまま文章の原理にした。
戦争、植民地、アメリカの工場、パリの貧民街を、一貫した嫌悪の目で描く。文体の革新としては二十世紀で最も大きいものの一つである。
しかし彼は一九三〇年代後半に激烈な反ユダヤ主義の文書を発表し、対独協力者として戦後に亡命・投獄された。
作品と書き手をどう切り分けるか。 この問題を、フランス文学は彼をめぐって今日まで扱い続けている。文体を評価することと、思想を免罪することは別だ、という立場が一般的だが、議論は決着していない。このサイトも、断定を避けてそう書くにとどめる。
実存主義 — 意味の不在から始める
第二次大戦、占領、レジスタンス、解放。この経験の上に戦後の文学が立つ。
ジャン=ポール・サルトルは「実存は本質に先立つ」と定式化した。人間はまず存在してしまい、後から自分が何であるかを選び取るしかない。したがって人は自由の刑に処されている。彼はまた「アンガージュマン(社会参加)」を掲げ、作家は自分の時代に対して責任を負うと論じた。
アルベール・カミュ異邦人(一九四二年)は、母の葬儀で泣かなかった男が、殺人の裁判でそのことを咎められる話である。世界に意味はないという前提から出発して、それでもどう生きるかを問う。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』(一九四九年)の「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という一文は、その後のフェミニズムの出発点の一つになった。
二人は決裂している。 アルベール・カミュは自分が実存主義者と呼ばれることを拒み、一九五二年にソ連の収容所をめぐる政治的立場でジャン=ポール・サルトルと絶交した。一つの流派として括ることには、当人たちの側から異論があった。
- 思潮としてまとめて見る: 実存主義
一九五〇年代 — 物語を壊す
戦後十年ほどで、今度は小説の形式そのものへの攻撃が始まる。
ヌーヴォー・ロマン。 アラン・ロブ=グリエは、物に人間的な意味を読み込む書き方(比喩、擬人化)を批判し、物は人間と無関係にそこにある、という前提から書くべきだと主張した。心理も筋も捨て、描写だけを積み上げる。
ナタリー・サロートは逆方向から同じ地点へ向かい、名づけられる感情の手前にある微細な動きを捉えようとした。マルグリット・デュラスは反復の多い独特の文体を作り、映画へも進む。
不条理演劇。 同じ頃、サミュエル・ベケットがゴドーを待ちながらを書いた(一九五二年刊、翌年初演)。二人の男が誰かを待ち、来ないまま終わる。アイルランド人がフランス語で書いた作品が、フランス演劇の代表作になっている。 ウジェーヌ・イヨネスコはルーマニア出身で、英会話教則本の例文から『禿の女歌手』を作った。
理論の時代
一九六〇年代から八〇年代にかけて、フランスは文学理論の世界的な中心になった。構造主義、記号論、ポスト構造主義。ロラン・バルトの「作者の死」、ミシェル・フーコーの言説分析、ジャック・デリダの脱構築。
文学作品そのものより、文学について考える枠組みがフランスの最大の輸出品になった時期である。この理論は英語圏の大学に渡り、今日の文学研究の基礎の一部になっている。
なお、作者を作品から切り離すという発想の先駆はマルセル・プルーストのサント゠ブーヴ批判にある。世紀の入口の作家が、世紀後半の理論を先取りしていた。
実験と、いま
ジョルジュ・ペレックは自分に規則を課して書いた。長篇『煙滅』ではフランス語で最も頻出する文字「e」を一度も使わずに書いている。言葉遊びに見えるが、彼の両親はホロコーストと戦争で失われており、「欠けているもの」を形式そのもので示す試みとして読まれている。
近年のノーベル文学賞受賞者を見ると、この文学の現在地が分かる。J・M・G・ル・クレジオが二〇〇八年、パトリック・モディアノが二〇一四年、アニー・エルノーが二〇二二年。
[[ernaux]]が書いてきたのは、自分の生である。 労働者階級の出身であること、中絶の経験、母の死、恋愛。彼女はそれを「私」の物語としてではなく、一つの社会的事実として、装飾のない文体で書く。
壊し続けた末に残ったのが自分の生を素材にすることだったのは、偶然ではない。ミシェル・ド・モンテーニュが16世紀に「私自身が私の書物の素材だ」と書いてから四百数十年、ジャン=ジャック・ルソーの『告白』から二百数十年。この文学の最も古い主題が、形を変えて続いている。
この世紀をどう読むか
| 壊したもの | 誰が |
|---|---|
| 理性の統制 | アンドレ・ブルトンとシュルレアリスム |
| 書き言葉と話し言葉の境 | ルイ=フェルディナン・セリーヌ |
| 世界に意味があるという前提 | ジャン=ポール・サルトル アルベール・カミュ |
| 筋・心理・登場人物 | アラン・ロブ=グリエ ナタリー・サロート |
| 作者という権威 | 理論家たち(先駆はマルセル・プルースト) |