ハロルド・ピンター
- 原綴
- Harold Pinter
- 生没
- 1930–2008
- 出身
- ロンドン・ハックニー
- 国
- イギリス
- 時代
- 20世紀以降
生涯
1930年、ロンドン東部の下町ハックニーに、ユダヤ系の仕立屋の子として生まれた。少年期に第二次大戦を経験し、また戦後の反ユダヤ主義にも直面した。この、いつ脅かされるか分からないという感覚が、後の作品の底に流れている。
はじめは俳優として舞台に立った。二十代の終わりに戯曲を書き始め、日常のありふれた場面に不気味な脅威を忍び込ませる作風で注目された。以後、劇作家として多くの戯曲を残した。
演劇にとどまらず、映画の脚本も数多く手がけた。晩年は、政治的な発言でも知られ、戦争や人権侵害を厳しく批判した。2005年にノーベル文学賞を受け、2008年に没した。
作風
ピンターの戯曲の舞台は、ごくありふれた日常である。狭い部屋、平凡な会話。だが、その日常のなかに、正体の分からない脅威が、静かに忍び込んでくる。見知らぬ者の来訪、理由の分からない敵意。安全なはずの空間が、いつのまにか恐怖の場へと変わっていく。
言葉の使い方が独特である。登場人物の交わす会話は、しばしば噛み合わず、要点をはぐらかす。言葉は、意味を伝えるためではなく、むしろ本心を隠し、相手を支配するために使われる。会話の裏で、目に見えない権力の争いが繰り広げられている。
そして「沈黙」が、決定的な役割を果たす。ピンターの戯曲には、長い間(ま)が、いたるところに置かれている。この沈黙のなかにこそ、語られない緊張や、言葉にできない脅威が満ちている。この独特の作風は「ピンター的(ピンタレスク)」という言葉を生んだ。
作品
『管理人(The Caretaker)』(1960年)
古い一軒家を舞台に、二人の兄弟と、一人の老浮浪者との、奇妙な三者の関係を描いた戯曲である。誰がこの家を支配するのかをめぐる、言葉と沈黙による静かな争いが展開する。ピンターの代表作にあたる。
『帰郷(The Homecoming)』(1965年)
久しぶりに実家に帰った男とその妻をめぐって、男だけの一家のなかで繰り広げられる、支配と欲望の駆け引きを描いた戯曲である。
初期の『誕生日パーティ』も、平凡な日常に忍び寄る脅威を描いた重要な作品である。
文学史における立ち位置と影響
ピンターは、二十世紀後半のイギリス演劇を代表する劇作家として文学史に名を残す。日常のなかにひそむ脅威と権力を、噛み合わない会話と沈黙によって描くその手法は、まったく新しいものだった。「ピンター的」という形容詞が生まれたこと自体が、その独創性を物語っている。
その作風は、ベケットらの不条理演劇の流れを汲みながら、より日常に根ざした、独自の恐怖の世界を築いた。言葉が意思の疎通ではなく支配の道具となるという洞察は、後の演劇に大きな影響を与えた。
言葉の裏にひそむ権力への鋭い意識は、晩年の政治的な発言にもつながっている。舞台の上でも、現実の社会でも、権力と抑圧を見つめ続けたその姿勢は、戦後演劇の一つの良心とされている。