サミュエル・ベケット

白髪を逆立てた、サミュエル・ベケットの肖像写真(顔の接写)。
ロジェ・ピック撮影
原綴
Samuel Beckett
生没
1906–1989
出身
アイルランド・ダブリン近郊フォックスロック
フランス
時代
20世紀以降

生涯

1906年、ダブリン近郊のプロテスタントの家に生まれた。アイルランド人で、英語を母語とする。大学ではフランス語とイタリア語を学んだ。

20代でパリに渡り、同郷の作家ジェイムズ・ジョイスの周辺で働いた。ジョイスの研究を手伝い、その影響下で書き始める。当初はジョイスに似た、語彙の豊かな凝った文章を書いていた。1931年にはプルースト論を書いており、これが批評家としての出発点である。

第二次大戦中はフランスに留まり、対独レジスタンスに加わった。組織が摘発され、南仏へ逃れて潜伏している。戦後、この活動によりフランス政府から勲章を受けた。

戦後、書く言語をフランス語に切り替える。母語でない言語で書くことで修辞を削ぎ落とせると考えたためとされる。1946年から数年の間に、小説三部作とゴドーを待ちながらを集中して書いた。1953年、ゴドーを待ちながらがパリで初演される。小さな劇場での上演だったが、賛否を二分する評判を呼び、各国語に翻訳されて世界に広がった。

以後は寡作で、作品はしだいに短く、切り詰められていく。晩年には数分で終わる劇や、台詞のない劇も書いた。1969年、ノーベル文学賞を受けたが、授賞式には出席せず、賞金は寄付している。1989年、パリで82歳で死去した。

作風

ベケットの方法は、削っていくことである。ジョイスが言葉を足していく方向——あらゆる語彙と引用を詰め込む——だったのに対し、ベケットは逆に、書けるものを減らしていった。舞台装置、筋、人物の背景、そして最後には台詞そのものを削る。

フランス語を選んだのも、この方向のためである。母語の英語では、修辞や語呂合わせが自然に出てしまう。外国語で書けば、そうした装飾ができず、骨だけが残る。多くの作品をまずフランス語で書き、自ら英語に訳した。

「何も起こらない」ことを舞台に乗せた。ゴドーを待ちながらでは二人の男が誰かを待ち続け、その誰かは来ない。二幕あるが、二幕目は一幕目とほぼ同じことの繰り返しである。事件も解決もなく、待つこと自体が上演される。

それでも喜劇の要素はある。帽子の取り替え、ずり落ちるズボン、噛み合わない会話。道化芝居や無声映画の喜劇に近い身体的な笑いが、絶望的な状況のなかに置かれている。

小説では、語る主体が崩壊していく。三部作では、語り手が誰なのか、身体があるのか、そもそも存在するのかが、進むにつれて不確かになる。最後の名づけえぬものは、「続けられない、続けよう」という趣旨の一句で終わる。

作品

ゴドーを待ちながら(En attendant Godot)(1952年刊、1953年初演)

代表作である。二人の浮浪者ヴラジーミルとエストラゴンが、「ゴドー」という人物を待つ。ゴドーが誰で、なぜ待つのかは説明されない。ある評者はこれを「何も起こらない、それが二度」と評した。「ゴドー(Godot)」が神(God)を指すのかは繰り返し問われてきたが、作者は否定している。

勝負の終わり(1957年)

盲目で動けない男と、その従者を軸にした戯曲である。ゴミ箱に入った老いた両親も登場する。終わりが近いのに終わらない状況を描く。

三部作モロイマロウンは死ぬ名づけえぬもの(1951〜53年)は小説で、語る主体が段階的に解体していく。

クラップの最後のテープ(1958年)

一人芝居で、老人が若い頃の自分の録音を聞き返す。

しあわせな日々(1961年)では、女が砂に埋もれながら日常の言葉を話し続ける。二幕目では首まで埋まっている。

文学史における立ち位置と影響

ベケットは不条理演劇を代表する。イヨネスコジュネらとともに、1950年代のパリで演劇の前提を作り変えた。

実存主義との違いが重要である。サルトルカミュが世界の無意味さを論じ、それでもどう生きるかを議論したのに対し、不条理演劇はそれを議論しない。舞台の上で、無意味さそのものを起こしてみせる。ベケットはこの方法を最も徹底した。

演劇の可能性も根本から変えた。筋がなくても、事件がなくても、ほとんど台詞がなくても劇は成立する——このことを示したため、以後の演劇は「何を舞台に乗せられるか」の範囲が大きく広がった。ピンターをはじめ、後の劇作家が直接の影響を受けている。

アイルランド人がフランス語で書いた作品が、フランス演劇の代表作になっている点も注目される。これはフランス文学が国籍ではなく言語によって定義される面を示す例である。母語でない言語で書いた作家という点で、コンラッドと並べて論じられる。

若い頃のプルースト論も見落とせない。批評家としての出発点がプルースト論だったことは、20世紀の小説と演劇の系譜を辿るうえで一つの結節点になっている。

日本では1960年代の小劇場運動が強く受容した。

作品

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