日本現代

日本文学 現代

通史では、この時代を「焼跡から」と要約した。ここではその中身を開く。

一九四五年の敗戦は、日本の書き手にとって価値の全面的な崩壊だった。前日まで正しいとされていたものが、翌日には否定される。国家も、道徳も、言葉も信用を失った。

この空白から何を書き出すか。 それが戦後文学の出発点である。

焼跡 — 無頼派

戦後すぐに現れたのが無頼派と呼ばれる作家たちである。既成の価値も、新しく与えられた民主主義の建前も、どちらも信じない。

坂口安吾は「堕落論」(一九四六年)で、日本人は堕ちるところまで堕ちて、そこから自分自身を発見するしかないと論じた。天皇制も武士道も、人間の弱さを覆い隠す装置にすぎない、という主張である。焼跡の現実に対して、これは強い説得力を持った。

太宰治人間失格(一九四八年)は、人間らしく振る舞えない男が、道化を演じながら破滅していく話である。彼はこの作品を発表した年に、玉川上水で入水自殺した。

太宰は近代私小説の系譜の上にいるが、自分を語る「私」そのものを演技として提示している点が違う。告白の形式を使いながら、告白の信頼性を疑わせる。

戦争を書く

戦場を体験した世代が、その経験を書いた。

大岡昇平野火(一九五一年)は、フィリピン戦線で部隊からはぐれた兵士が、飢餓のなかで彷徨する話である。人肉食という主題に踏み込み、極限で人間性がどこまで保たれるかを問う。大岡自身がフィリピンで捕虜になった経験を持つ。

このほか野間宏、埴谷雄高らが「戦後派」と呼ばれ、戦争責任と主体性の問題を扱った。

三島由紀夫 — 美と、行動

三島由紀夫は戦後文学のなかで特異な位置にある。

金閣寺(一九五六年)は、実際に起きた金閣寺放火事件を素材に、美に取り憑かれた青年が、その美を焼くまでを精緻な文体で書いた。美しすぎるものは自分の生を妨げる、という論理が、緻密に構築されている。

彼の文章は古典的な語彙と構文を保ちながら、極度に人工的である。戦後の口語文が主流になった時代に、意図的に硬質な日本語を選んだ。

そして一九七〇年、彼は自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターを呼びかけ、失敗して自決した。作家の死そのものが政治的事件になった、戦後で唯一の例である。

この事件をどう評価するかは今日まで定まっていない。文学としての達成と、政治的行動をどう切り分けるかという問題は、フランスのセリーヌをめぐる議論と構造が似ている。

世界へ通じる文体

一方で、日本的な情緒に頼らない作家が現れる。

安部公房砂の女(一九六二年)は、砂丘の穴の底の家に閉じ込められた男の話である。地名も時代も曖昧で、日本的な風土性が意図的に消されている。 そのため翻訳で失われるものが少なく、国際的に読まれた。カフカとの近さがよく指摘される。

遠藤周作沈黙(一九六六年)は、江戸初期の禁教下で棄教を迫られる宣教師を描く。神はなぜ沈黙するのかという主題は、カトリック作家である遠藤の生涯の問いだった。

大江健三郎個人的な体験(一九六四年)で、障害を持つ子の誕生に直面した父親を書いた。これは彼自身の経験であり、以後この主題を書き続ける。彼の文体は翻訳調とも評される独特のもので、日本語の自然さより、思考の構造を優先している。

二つのノーベル賞講演

日本人のノーベル文学賞受賞は二人。その受賞講演の題が対になっていることは、この時代を象徴している。

受賞作家講演題
1968年川端康成美しい日本の私
1994年大江健三郎あいまいな日本の私

川端康成は道元・明恵の歌を引き、日本の伝統的な美意識を語った。大江健三郎はその題を意識的に踏まえたうえで、近代化のなかで西洋と伝統に引き裂かれた日本の「あいまいさ」を語り、川端の立場から距離を取った。

日本をどう名乗るか。 上代以来、外から来たものと自分の言葉の関係に悩み続けてきたこの文学の問いが、国際的な舞台でそのまま現れている。

高度成長以後

松本清張は社会派推理小説を確立し、犯罪の背後にある社会構造を描いた。文学と大衆娯楽の境界を動かした作家である。司馬遼太郎の歴史小説は歴史観そのものに影響を与えた。

一九七〇年代以降、村上春樹が登場する。デビュー作『風の歌を聴け』(一九七九年)から、それまでの日本文学の湿った文体とは違う、乾いた文章を書いた。翻訳を通して英語の構文を意識的に取り入れたと本人が語っている。

ノルウェイの森(一九八七年)が社会現象的に売れ、以後、日本文学で最も多くの言語に翻訳される作家になった。

同時代には村上龍吉本ばなな小川洋子川上弘美らがいる。多和田葉子ドイツ語と日本語の両方で創作している。

外から来た言葉で書くという千三百年前の問題は、いま日本語の側から外へ出ていく形で続いている。

この時代をどう読むか

中身
価値の崩壊から敗戦の空白が出発点。無頼派がそれを引き受けた
翻訳される文体安部公房以降、風土性に頼らない書き方が国際的に読まれた
日本をどう名乗るか二つのノーベル講演が対になっている
外へ出る日本語多和田葉子のように、複数言語で書く作家が現れた

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