異邦人

原題
L'Étranger
作者
アルベール・カミュ
成立
1942
フランス
時代
20世紀以降

概要

1942年に刊行された中篇小説である。二部からなり、日本語訳で文庫一冊に収まる。フランス領アルジェリアの平凡な会社員ムルソーが、母の葬儀で泣かず、翌日に海水浴と情事をし、数日後に一人のアラブ人を射殺する。裁判で問われるのは殺人そのものより、母の葬儀で泣かなかったことだった。感情の説明を省き、短い文を並べた文体で書かれている。カミュの代表作であり、20世紀フランス文学で最も読まれた小説の一つになっている。

カミュは1938年から1940年にかけてこの作品を書いた。並行して評論シーシュポスの神話と戯曲『カリギュラ』を書いており、本人はこの三作を「不条理三部作」と呼んでいる。

刊行は1942年、ナチス・ドイツ占領下のパリで、ガリマール社から出た。当時カミュは28歳で、ほとんど無名だった。サルトルが長い書評を書いてこの作品を論じ、それが評価を決定づけている。

カミュ自身はアルジェリア生まれのフランス人で、貧しい地区で育った。作中の風景、日差し、海は、その土地の実感に基づく。

文学史における評価と影響

文体そのものが主題を体現している作品である。複文をほとんど使わず、感情の説明を省き、短い文を並べる。世界が意味を語らないのだから、語り手も意味を語らない。この乾いた語り口は、内面を説明しない書き方の手本として広く模倣された。

カミュはこの前後に「不条理」の概念を定義している。人間は世界に意味を求めるが、世界は答えない。この求めと沈黙の断絶そのものが不条理である。ムルソーは、社会が求める型どおりの感情を演じることを拒み、そのために排除される。裁かれているのは殺人ではなく、彼の性格である。

実存主義の文脈で語られることが多いが、カミュ自身はそのラベルを繰り返し拒んだ。サルトルとの後年の決裂もあり、一つの流派として括ることには当事者の側から異論があった。

後年になって、別の論点が現れている。殺されるアラブ人には名前が与えられていない。植民地の現実を背景にしながら、被害者が匿名のままである点が、植民地主義の視線として批判されるようになった。2013年、アルジェリアの作家カメル・ダーウドが、殺された男の弟の視点からこの物語を書き直した小説『ムルソー再捜査』を発表している。

日本でも繰り返し訳され、戦後文学の必読書として定着している。

あらすじ

第一部。「きょう、ママンが死んだ。あるいは昨日かもしれないが、わからない」という一文で始まる。ムルソーはアルジェの会社に勤める平凡な事務員で、養老院からの電報を受けて母の葬儀に向かう。彼は遺体を見ようとせず、通夜の間に煙草を吸い、ミルクコーヒーを飲んで居眠りする。埋葬の日は暑く、早く終わってほしいとだけ考えていた。

翌日、ムルソーは海水浴に出かけ、かつての同僚マリイと再会して映画を見に行き、そのまま関係を持つ。マリイに結婚したいかと問われ、どちらでもいいが君が望むならしてもいい、と答える。愛しているかと問われると、たぶん愛してはいない、と答えた。

同じアパートに住むレエモンという男が、情婦と揉めている。ムルソーは頼まれるまま、その女を呼び出す手紙を代筆した。女の兄はアラブ人で、以後レエモンをつけ狙う。

日曜日、ムルソーはレエモンとマリイとともに海辺の友人の小屋へ行く。浜でアラブ人たちと諍いになり、レエモンがナイフで切られた。いったん引き上げた後、ムルソーは一人で浜に戻る。強い日差しと、額を流れる汗。岩陰にアラブ人がいて、ナイフを抜いた。刃が日光を照り返す。ムルソーは引き金を引き、倒れた体にさらに四発撃ち込んだ。

第二部。ムルソーは逮捕され、予審判事の取り調べを受ける。判事は十字架を突きつけて神を信じるかと迫るが、ムルソーは信じないと答える。判事は彼を「反キリスト」と呼んだ。

裁判が始まる。検事が繰り返し持ち出すのは、殺人の状況ではなく、母の葬儀での振る舞いである。泣かなかったこと、遺体を見なかったこと、翌日に女と映画を見て笑ったこと。養老院の門番や葬儀の参列者が証言台に立つ。検事はムルソーを「魂を持たない人間」と論告し、この男は精神的に母を殺したのだと述べた。死刑が確定する。

独房で、ムルソーは司祭の面会を拒み続ける。三度目に押しかけた司祭が神と来世を説くと、ムルソーは激昂し、胸倉を掴んで怒鳴った。誰も彼も選ばれてはいない。すべての人間は同じように死ぬ。

司祭が去った後、ムルソーは落ち着きを取り戻す。星空の下で、自分がこの世界の優しい無関心に心を開いていたことに気づく。処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びで自分を迎えてくれることを願う——そう考えるところで作品は終わる。

作者

登場する文学史