ウジェーヌ・イヨネスコ
- 原綴
- Eugène Ionesco
- 生没
- 1909–1994
- 出身
- ルーマニア・スラティナ
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
生涯
1909年、ルーマニアのスラティナに生まれた。父はルーマニア人、母はフランス系で、幼少期をフランスで過ごした。二つの国と言語のあいだで育ち、フランス語で作品を書いた。
はじめ劇作を志したわけではなかった。三十代の終わり、英語を独習しようと会話教本を開いたとき、そこに並ぶ「天井は上にあり、床は下にある」といった、当たり前すぎて無意味な文に衝撃を受けた。この体験から、言葉そのものの空虚をあばく最初の戯曲が生まれた。
1950年、その戯曲『禿の女歌手』がパリの小劇場で初演された。当初は理解されなかったが、しだいに注目を集め、イヨネスコは不条理演劇の代表者となった。以後、多くの戯曲を発表し、フランスの権威ある文学者団体の会員にも選ばれた。1994年にパリで没した。
作風
イヨネスコの演劇の核心は、言葉が意味を失っていく世界を描くことにある。登場人物たちは、盛んに言葉を交わすが、その会話はまるで噛み合わない。決まり文句や、無意味な繰り返しが積み重なり、対話は崩壊していく。人と人とが、言葉によってはもはや通じ合えない、その断絶を舞台に乗せた。
その舞台には、こっけいと恐怖が同居する。荒唐無稽な出来事が、大まじめに演じられる。観客は笑うが、その笑いの底には、意味を失った世界への不安がひそんでいる。ばかばかしさと不気味さが分かちがたく結びつく点が、イヨネスコの喜劇の特質である。
後期には、こうした手法を、社会への批判へと向けた。とりわけ、人間が次々と犀(さい)に変身していく『犀』では、人々が付和雷同して全体主義に染まっていくさまを、寓話として描いた。不条理の手法が、時代への鋭い批評になっている。
作品
『禿の女歌手(La Cantatrice chauve)』(1950年)
イギリスのある家庭を舞台に、夫婦や来客が、意味をなさない会話を延々と交わす戯曲である。題名の「禿の女歌手」は、劇の内容とまったく関係がない。イヨネスコ自身は、これを従来の芝居への批判をこめて「アンチ演劇(反=戯曲)」と呼んだ。言葉と対話の空虚をあばいたこの作品が、不条理演劇の出発点の一つとなった。
『犀(Rhinocéros)』(1959年)
町の人々が、一人また一人と、犀に変身していく戯曲である。周囲に流されて全体主義に染まっていく人間を、犀への変身という寓話で描いた。若き日、故郷ルーマニアで、親しい友人たちが次々とファシズムに傾いていくのを目のあたりにした経験が、この作品の背景にある。イヨネスコの代表作にあたる。
小劇場での実験から出発した『授業』『椅子』も、不条理演劇の重要な作品とされる。
文学史における立ち位置と影響
イヨネスコは、ベケットと並ぶ、不条理演劇の代表者として文学史に名を残す。第二次大戦後、人間の理性や、言葉による意思疎通への信頼が揺らいだ時代に、その断絶をそのまま舞台に描き出した点に、その意義がある。
従来の演劇が前提としてきた、筋の通った物語や、意味の通じる対話を、イヨネスコは根底から覆した。人間が言葉で通じ合えるという当たり前の前提を疑うその演劇は、二十世紀の演劇の常識を大きく変えた。
こっけいと恐怖を同居させ、不条理を寓話へと高めるその手法は、後の演劇に広く影響を与えた。ベケットとともに、戦後演劇の流れを決定づけた劇作家とされている。