実存主義とは? 人間は自分の選択で自分を作るという思想と文学
- 発祥
- フランス
- 年代
- 1940–1960
実存主義は、人間にはあらかじめ定まった本質はなく、自分が何を選ぶかによって自分が何者かが決まる、とする立場である。第二次大戦、占領、レジスタンスという経験の上に、戦後の文学として広がった。
背景 — 戦争が奪った「意味」
なぜ戦後のフランスで、この考えが広く受け入れられたのか。背景に、第二次世界大戦の経験がある。ナチス・ドイツによる占領、いつ捕まるか分からないレジスタンス、収容所での大量の死。神も、進歩も、理性も、この現実を意味づけてはくれなかった。世界にあらかじめ意味などない、という感覚が、現実の体験として突きつけられたのである。
そこへ、先立つ思想の系譜が合流する。19世紀のキルケゴールは、抽象的な理屈ではなく、今ここで選び決断する個人こそが問題だと説き、実存主義の父と呼ばれる。ニーチェは「神は死んだ」と述べて、世界を支える絶対の基準が失われたことを告げた。文学ではドストエフスキーの地下室の手記やカフカの、理由もなく不条理な状況に投げ込まれる世界が、繰り返し参照される。

実存は本質に先立つ
サルトルがこれを「実存は本質に先立つ」という言葉でまとめた。分かりにくい言い方だが、道具と比べると意味がはっきりする。ペーパーナイフは、紙を切るためという用途(本質)が先に決まっていて、そのために作られる。人間はこの順序が逆だ、というのである。人はまず、何のためとも決まらないまま存在してしまい、その後で、自分が何者であるかを自分の選択によって作っていくしかない。
だから人は「自由の刑に処されている」。逃げ場はなく、選ばないという選択もできない。サルトルはこれを「アンガージュマン(社会参加)」と結びつけ、作家は自分の生きる時代に対して責任を負うと論じた。
文学が思想を運んだ
実存主義は、哲学の論文よりも、小説と戯曲によって広まった。
サルトル自身、小説嘔吐で、日常の事物が意味を失ってただ「在る」ことに主人公が吐き気を覚えるさまを描き、戯曲出口なしでは、逃げ場のない一室に閉じ込められた三人を通して「地獄とは他人のことだ」と書いた。カミュの異邦人(1942年)は、母の葬儀で泣かなかった男が、殺人の裁判でそのこと自体を責められる話で、世界に意味はないという前提から出発する。ボーヴォワールの第二の性(1949年)は「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と書き、この思想を性のあり方の問題へ広げた。
一つの流派として括ることへの異論
注意すべき点がある。カミュは自らを実存主義者と呼ばれることを拒み、サルトルとは1952年に、政治的な立場をめぐって決裂した。一つの流派としてまとめて括ることには、当人たちの側から異論があった。
また、不条理演劇としばしば混同される。実存主義が世界の無意味さを論じ、それでもどう生きるかを議論したのに対し、不条理演劇はそれを議論せず、舞台の上で起こしてみせる。日本では安部公房が、実存主義ともカフカとも近い位置で、日本的な情緒に頼らない寓話を書いた。
後世への影響
実存主義は、戦後のヨーロッパで一世を風靡し、哲学の枠を越えて演劇・小説・思想の全体に及んだ。とりわけボーヴォワールの「女になるのだ」という洞察は、その後のフェミニズムの理論の出発点の一つになる。自分の選択によって自分を作る、という実存主義の人間像は、いまも広く知られた考え方として残っている。