不条理演劇とは? 筋も解決もない劇で人間の状況を見せた戦後演劇

発祥
フランス
年代
1950–1970
主な国
フランスイギリスドイツ

不条理演劇は、筋も動機も解決も持たない劇によって、人間が置かれた状況そのものの無意味さを、舞台の上に直接出そうとした演劇である。1950年代のパリを中心に現れた一群の劇作家をまとめて指す。

「不条理」とは何か

まず「不条理」という言葉を押さえておく。ここでいう不条理は、「ばかげている」という意味ではない。人間は、自分の人生や世界に、意味や理由を求めずにはいられない。ところが世界の側は、その問いかけに何も答えず、黙ったままである。意味を求める人間と、沈黙したままの世界——この二つのあいだの、どうしても埋まらない食い違いを、不条理と呼ぶ。フランスの作家カミュが、評論『シーシュポスの神話』(1942年)でこの考え方を示した。

背景には、二つの世界大戦、強制収容所、原子爆弾があった。理性が世界を少しずつ良くしていく、という19世紀以来の信頼は崩れ、そもそも世界に意味があるのか、という疑いが広がっていく。この感覚が、戦後のヨーロッパに広く共有されていた。

議論するのではなく、舞台で起こしてみせる

同じ無意味さを扱った実存主義と比べると、この演劇の新しさがはっきりする。

実存主義不条理演劇
無意味さを論じる舞台で起こす
形式整った小説・戯曲筋も解決もない劇

サルトルカミュは、世界に意味がないことを議論し、それでもどう生きるかを問うた。不条理演劇は、それを議論しない。無意味さそのものを、観客の目の前で起こしてみせる。

そのために、演劇の約束事を壊した。それまでの芝居には、筋があり、人物が成長し、事件が解決に向かい、せりふが意味を伝えていた。不条理演劇は、この全部を外す。物語は堂々めぐりし、人物は変わらず、何も解決しない。会話は噛み合わず、言葉は意味を失って、決まり文句だけが空回りする。

代表作

ベケットゴドーを待ちながら(1952年刊、翌年初演)が代表である。二人の男が、ゴドーという来るはずの誰かを待ち続け、その誰かは来ないまま劇が終わる。事件も説明もなく、二つの幕はほとんど同じことを繰り返すだけである。アイルランドに生まれた作家がフランス語で書いたこの作品が、戦後演劇の代名詞になった。

サミュエル・ベケットの肖像写真。
『ゴドーを待ちながら』のサミュエル・ベケット。

イヨネスコはルーマニアの出身で、英会話の教則本の味気ない例文から思いついて『禿の女歌手』を書いた。中身のない決まり文句だけが交わされる会話が、そのまま一篇の劇になる。後の『犀』では、町の人々が次々と犀に変わっていく寓話によって、人が集団の熱狂に呑まれていくさまを描いた。イギリスのピンターは、会話の沈黙と間によって、その裏にひそむ暴力や支配の関係を感じさせた。

「不条理演劇」という呼び名と、その広がり

「不条理演劇」という名は、批評家マーティン・エスリンが1961年の著書でこれらの作家をまとめて名づけたものである。当人たちが集団を組んだわけではない。出身地もばらばらで、ベケットはアイルランド、イヨネスコはルーマニア、ジュネはフランス、デュレンマットフリッシュはスイスにわたる。特定の一国の運動ではなく、戦後のヨーロッパに広く生まれた感覚が、後からこの名で一つに括られた。

筋や意味に頼らずに舞台を成り立たせるその手法は、以後の演劇に深く残った。沈黙と間を生かしたピンターは、後にノーベル文学賞を受けている。

この思潮の作家

フランス

イギリス

ドイツ