シモーヌ・ド・ボーヴォワール

原綴
Simone de Beauvoir
生没
1908–1986
出身
パリ
フランス
時代
20世紀以降

生涯

1908年、パリのカトリックの中産階級の家に生まれた。父が投資に失敗して一家は没落する。持参金を用意できない娘は結婚で身を立てられないため、職業を持つしかなくなった。本人は後年、この没落が自分を自立へ向かわせたと書いている。

ソルボンヌで哲学を学び、1929年の教員資格試験(アグレガシオン)に合格した。21歳での合格は当時の最年少記録であり、女性としては史上9人目だった。同じ年の同じ試験で、サルトルが1位、ボーヴォワールが2位である。サルトルとは以後、生涯の関係を結ぶ。法律上の結婚はせず、互いに他の相手との関係を持つことを認め合う契約を交わした。この形式そのものが当時としては例外的で、以後も論じられ続けている。

高校の哲学教師として働きながら書いた。1943年、教え子との関係をめぐって教職を追われている。同年に最初の小説招かれた女を発表した。戦後、サルトルらと雑誌『レ・タン・モデルヌ』を創刊する。1949年に第二の性を刊行し、激しい賛否を呼んだ。カトリック側の反発は強く、ヴァチカンの禁書目録に載せられている。

政治的な活動も続けた。アルジェリア戦争ではフランスの拷問を告発し、独立を支持する。1971年には、自身の中絶経験を公表する声明(343人のマニフェスト)に署名した。当時のフランスで中絶は違法であり、署名は訴追の危険を伴う行為だった。この運動は1975年の合法化につながっている。1986年、78歳で死去し、サルトルの隣に埋葬された。

作風

ボーヴォワールは、実存主義の枠組みを、女性が置かれた状況に適用した。サルトルの「実存は本質に先立つ」——人間にあらかじめ決まった本質はなく、後から自分を作る——という前提を出発点にする。そこから、「女性らしさ」もまた本質ではなく、後から作られたものだという結論を導いた。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」が、その一文である。第二の性第二部の冒頭に置かれている。

論の中心にあるのが「他者」という概念である。男性が人間の標準として置かれ、女性はそこからの逸脱、つまり「第二の性」として定義されてきた、という構図を示した。男は「人間」として語られ、女は「女」として語られる。この非対称が、あらゆる制度と文化に埋め込まれていると論じる。

方法は横断的である。生物学、精神分析、経済の仕組みから歴史を説明する史的唯物論、そして歴史・神話・スタンダールら5人の作家が描いた女性像。膨大な資料を集めて、一つの構図を多方面から立証する形をとる。

小説と自伝も書いている。小説では戦後の知識人の関係と選択を扱い、自伝では自分の生涯を4巻にわたって記録した。書くこと自体が、女性が自分の経験を言語化する実践になっている。

作品

第二の性(1949年)

代表作である。全2巻。第一部で神話・歴史・生物学における女性の位置を分析し、第二部で少女期から老年までの実際の生を段階ごとに扱う。「人は女に生まれるのではない」の一文は第二部の冒頭にある。

招かれた女(1943年)

最初の小説で、カップルと若い女性の三角関係を扱う。サルトルとの実際の関係が下敷きにある。

レ・マンダラン(1954年)

フランスで最も注目される文学賞であるゴンクール賞を受けた。戦後フランスの知識人たちが、政治的な選択をめぐって分裂していく過程を描く。サルトルやカミュを思わせる人物が登場し、当時の論壇の記録としても読まれる。

娘時代(1958年)

自伝の第1部である。カトリックの家庭で育った少女が、信仰と家庭の期待から離れていく過程を書く。全4部の自伝の中で最もよく読まれている。

老い(1970年)

老いを主題にした論考で、第二の性と同じ方法を、社会が老人をどう「他者」として扱うかに適用している。

文学史における立ち位置と影響

第二の性は、その後のフェミニズム理論の出発点の一つである。生まれつきの性と、社会が作る性役割を区別する視点は、後に「セックスとジェンダーの区別」として理論化された。この区別が、1960年代以降の女性解放運動に理論的な土台を与えている。

同時に、今日では批判もある。白人・中産階級・西欧の女性を暗黙の前提にしており、人種や階級による違いが視野に入っていないこと。母性や身体を否定的に扱いすぎるという指摘。生物学と精神分析の記述に、当時の知識の限界がそのまま残っていること。古典として読まれる一方で、無批判には受け取られていない。後の世代がこれらの限界を批判しながら理論を進めたこと自体が、この本が出発点だったことを示している。

サルトルの伴侶という位置づけが、長く評価を歪めてきた面もある。思想はサルトルから借りたものだと見なされ、独自の哲学者として扱われない時期が続いた。近年は、『第二の性』以前の哲学的著作や、二人の思想的な相互作用の実態が再検討されている。

日本では1953年に部分訳が出て以降、繰り返し訳されている。女性の自立を論じる文脈で、戦後日本でも参照され続けてきた。

作品

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