ロマン主義とは? 感情・想像力・個人を文学の中心に置いた運動
- 発祥
- ドイツ
- 年代
- 1790–1850
ロマン主義は、18世紀末から19世紀前半のヨーロッパを覆った文学・芸術の運動である。直前の時代の啓蒙思想が理性と規則を重んじ、感情を抑えるべきものとしたのに対し、ロマン主義はそれをひっくり返した。理性では捉えられないもの——感情、夢、想像力、自然、民族の過去、そして一人ひとりの内面——を、文学の中心に据える。
ロマン主義の三つの主張
啓蒙の時代、詩には守るべき型があり、個人の感情は抑えるべきものとされていた。ロマン主義はこの前提を、三つの点で逆転させる。
一つ、規則よりも個人を置く。決められた型に従うのではなく、書き手一人ひとりの内面から書く。二つ、理性よりも感情を置く。論理では届かないもの——憧れ、不安、恍惚——を正面から扱う。三つ、普遍よりも固有を置く。古代ギリシャ・ローマに共通の規範ではなく、その民族が持つ過去・民謡・伝説に、文学の根を求める。
三つ目がとくに重要で、これが後の国民国家の意識と結びついていく。ドイツのグリム兄弟が各地の民話を集めて回ったのも、この流れの中にある。
発祥地ドイツ
出発点はドイツである。1790年代、大学町イェーナに集まったノヴァーリスやティークらが、詩と哲学を融合させる構想を掲げた。同じ頃、ヘルダーリンが古代ギリシャへの憧れを独自の韻律で歌い、ホフマンは現実と幻想の境が壊れていく物語を書いた。ドイツ・ロマン主義はヨーロッパ全体の出発点になり、スタール夫人がこれをフランスへ紹介した。
国ごとに違う争点
「ロマン主義」は一つのまとまった運動ではない。国ごとに、何と戦ったかが違う。教科書的な理解でつまずきやすいのが、この点である。
| 国 | 争点 | 決着 |
|---|---|---|
| ドイツ | 詩と哲学の融合、無限への憧れ | 運動の発祥地 |
| イギリス | 詩を誰の言葉で書くか | 1798年『抒情民謡集』の序文 |
| フランス | 演劇の規則()を壊せるか | 1830年のエルナニ合戦 |
イギリスでは1798年、ワーズワースとコールリッジが詩集抒情民謡集の序文で、詩は普通の人が実際に話す言葉で書かれるべきだと宣言した。争点は、詩の言葉が一部の教養層のものか、庶民のものか、である。続く世代のバイロンは生き方そのものが伝説になり、キーツとシェリーは若くして死んだ。
フランスへの到達は遅かった。17世紀以来の古典主義の規則がそれだけ強固だったためである。決着がついたのは1830年、ユゴーの戯曲エルナニの初演が、旧来の規則を守る側と壊す側の観客が劇場で衝突する騒ぎ(エルナニ合戦)に発展したときだった。同じ年に七月革命が起きている。

ロシアではプーシキンがこの運動を通過して、近代ロシア文学そのものを立ち上げた。
ロマン主義・写実主義・自然主義の関係
文学史の教科書は、ロマン主義・写実主義・自然主義・象徴主義を順番に並べる。だが実際には、これらは重なり合い、並走していた。ユゴーはロマン派の頭領のまま世紀の終わり近くまで生き、自然主義の若者たちに囲まれて死んだ。ボードレールはロマン主義の遺産の上に立ちながら、象徴主義の出発点になった。流派の名前は、あとから整理のために貼られたラベルであって、当人たちが順番に交代したわけではない。
日本のロマン主義
日本の「ロマン主義」(1890年代、島崎藤村や与謝野晶子)は、ヨーロッパより一世紀ほど遅れて起き、しかも自然主義とほぼ地続きに現れた。同じ名前でも、時期も中身もずれている(日本近代)。
後世への影響
ロマン主義が文学の中心に据えたもの——型よりも個人、規則よりも感情、そして民族の固有性——は、その後の文学の前提になった。作者自身の内面を書く態度は、象徴主義を経て近代の詩へ流れ込み、民族固有の言語と過去を重んじる考えは、各国の国民文学の意識を育てた。19世紀後半の写実主義や自然主義は、このロマン主義の熱狂への反動として現れており、乗り越えの相手にされたこと自体が、その大きさを示している。