ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ
- 原綴
- Joseph von Eichendorff
- 生没
- 1788–1857
- 出身
- ルボヴィッツ(シレジア、現・ポーランド)
- 国
- ドイツ
- 時代
- 古典主義・ロマン主義
生涯
1788年、シレジアの貴族の家に生まれた。城館と森に囲まれた領地で育っている。この風景が生涯の作品の背景になった。
ハレとハイデルベルクの大学で法律を学ぶ。ハイデルベルクでは、民謡集『少年の魔法の角笛』を編んだブレンターノとアルニムの周辺に触れた。ウィーンではフリードリヒ・シュレーゲルと交わっている。
在学中、父の投機の失敗により家産が傾いた。実家の領地は最終的に売却され、アイヒェンドルフは生活のために官職に就くことになる。
1813年、ナポレオンに対する解放戦争に義勇兵として従軍した。
戦後はプロイセンの官吏となり、ダンツィヒ、ケーニヒスベルク、ベルリンで勤務した。カトリック教育に関する行政を担当している。詩と小説は、この官吏生活の傍らで書かれた。
1844年に退官し、以後は各地の親族のもとを移りながら暮らした。1857年、シレジアで68歳で死去した。
作風
アイヒェンドルフの詩は、限られた語彙の繰り返しでできている。
森、泉、月、谷、鐘の音、遠さ、郷愁。同じ語が何度も現れ、そのたびに配置が変わる。目新しさを狙わず、既知の像を組み合わせることで効果を作る。
音の運びが平明である。民謡の形式に近い短い連が並び、韻律が単純で、口ずさめる。この歌いやすさが、後に大量の作曲を招いた理由になった。
主題は、どこかへ行きたいという感覚である。旅立ち、放浪、遠くから聞こえる音。だが目的地は書かれない。到達しないままの憧れが、繰り返し歌われる。
同時に、その放浪には危うさもある。森は美しいだけでなく、迷わせるものとして現れる。「森の対話」では、森で出会った美しい女がローレライだったと分かり、もう帰れないと告げられる。ロマン主義の自然が、慰めと誘惑の両面を持つことが示される。
散文では調子が違う。『のらくら者の生活から』は明るく軽い。粉屋の息子がヴァイオリン一つを持って家を出て、行き当たりばったりに旅を続け、最後に幸福な結末を得る。労働と勤勉を尊ぶ市民の価値観を、正面から笑う作品になっている。
カトリック信仰が全体を支えている。放浪の果てに秩序と神へ帰るという構図が、多くの作品にある。
作品
『予感と現在』(1815年)
最初の長篇である。ナポレオン期の青年たちを描く。
『大理石像』(1818年)
中篇で、異教の女神ヴィーナスの誘惑を扱う。
『のらくら者の生活から』(1826年)
最もよく知られている。中篇小説で、ドイツ・ロマン主義の散文の代表とされる。
詩は生前の詩集にまとめられた。「月の夜」「壊れた指環」「森の対話」「異郷にて」などが広く知られる。「月の夜」の空が地に接吻したので大地は花のなかで空の夢を見た、という趣旨の書き出しは、ドイツ語詩でよく引かれる一節である。
『ドイツ文学史』(1857年)
晩年の著作で、カトリックの立場から文学史を論じたものである。
日本語では『のらくら者の生活から』が読める。詩は選集に収められている。
文学史における立ち位置と影響
アイヒェンドルフは、ドイツ・ロマン主義の抒情詩を代表する。ノヴァーリスやティークが理論と実験の側にいたのに対し、この詩人は歌としての詩を書いた。
歌曲としての普及が突出している。シューマンの『リーダークライス』作品39は全曲がアイヒェンドルフの詩による。メンデルスゾーン、ブラームス、ヴォルフ、R・シュトラウスも作曲した。R・シュトラウスの『四つの最後の歌』のうち三曲がこの詩人の作である。ドイツ歌曲において、ゲーテ、ハイネと並ぶ回数用いられた。
詩の受容には注意も必要である。あまりに歌いやすく親しみやすいため、通俗的な自然詩として消費されてきた面がある。ナチス期には、故郷と森を歌う国民詩人として利用された。近年は、その詩に含まれる不安と喪失の側面が読み直されている。
アドルノがアイヒェンドルフ論を書き、その詩における自我の希薄さを分析したことが知られる。
日本では堀辰雄をはじめ、ドイツ・ロマン主義に関心を持つ作家に読まれた。