ジャン・パウル

原綴
Jean Paul
生没
1763–1825
出身
ヴンジーデル(バイエルン)
本名
Johann Paul Friedrich Richter
ドイツ
時代
古典主義・ロマン主義

生涯

1763年、バイエルン北部の小さな町に、教師で後に牧師となった父の子として生まれた。本名はヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒターという。ルソーへの敬意から、フランス風に「ジャン・パウル」を筆名とした。

十三歳で父を失い、家は極貧に陥った。ライプツィヒ大学で神学を学ぶが、借金のために逃げ出している。以後、家庭教師と私塾の教師をしながら書き続けた。

初期の諷刺的な著作は売れなかった。1793年の『見えない箱』から読者を得て、1795年の『陽気なヴッツ先生』を含む一連の作品で人気作家になる。

1796年、ワイマールを訪れた。ゲーテシラーに会っているが、双方から距離を置かれた。二人はジャン・パウルの奔放な形式を認めなかった。一方でヘルダー、そしてワイマールの女性たちには歓迎されている。当時、熱狂的な読者の多くが女性だった。

1804年からバイロイトに定住し、生涯そこで暮らした。1825年、62歳で死去した。晩年は失明に近い状態だった。

作風

ジャン・パウルの小説は、脱線でできている。

物語が進み始めると、語り手が割り込む。註が入り、別の話が始まり、読者への呼びかけが挟まる。序文が複数あり、目次が冗談になっている。ある長篇には、本文とは無関係な付録が付けられた。筋を追おうとすると読めない構造をとる。

比喩が異様に多い。一つの事柄を説明するのに、天文学、植物学、法律、神学から次々に比喩を引く。それが積み重なって、原型が見えなくなる。この過剰さが文体そのものになっている。

扱う世界は、極端に狭いか極端に広いかのどちらかである。『陽気なヴッツ先生』の主人公は、本が買えないので、書名だけを見て自分でその本を書いてしまう貧しい教師である。生涯を一つの村で過ごし、それで満足して死ぬ。一方『巨人』は、宮廷と陰謀と理想主義を扱う大長篇になっている。

理論的な著作もある。『美学入門』では、ユーモアを「転倒した崇高」と定義した。有限な存在が無限を意識するとき、その落差から笑いが生じる、という考え方である。笑いを軽いものとしてではなく、認識の形式として扱った。

そして死と虚無の場面が突然に現れる。「宇宙に神はいないという死せるキリストの言葉」は、キリストが天上から降りてきて、父はいない、と告げる幻想である。この一節は、以後のヨーロッパの無神論の議論で繰り返し引かれた。

作品

『陽気なヴッツ先生』(1793年)

貧しい教師の生涯を描いた短い作品である。ジャン・パウルの入門として最も読みやすい。

『ヘスペルス』(1795年)

この作家を人気作家にした長篇である。

『ジーベンケース』(1796〜97年)

貧しい弁護士が自分の死を偽装して人生をやり直そうとする話である。「死せるキリストの言葉」はこの作品に含まれる。

『巨人』(1800〜03年)

最大の長篇で、本人が主著と考えていた。

『生意気ざかり』(1804〜05年)

二人の対照的な兄弟を扱う。

『美学入門』(1804年)

理論の書である。

日本語では『陽気なヴッツ先生』などの短い作品が訳されている。長篇の全訳は少ない。

文学史における立ち位置と影響

ジャン・パウルは、ドイツ古典主義ともロマン主義とも別の位置にいる。ワイマールのゲーテシラーの均整とも、イェーナのシュレーゲルらの理論とも交わらなかった。

生前の人気は極めて高く、一時はゲーテを上回る読者を持った。だが19世紀後半以降、その評価は下がる。読みにくさが最大の理由である。

一方、書き手からの評価は続いた。ホフマンは直接の影響を受けており、『牡猫ムルの人生観』の入れ子構造にその痕跡がある。シュティフターケラーも読んでいる。

20世紀に入ってから、その形式が再評価された。ジョイスの脱線と言葉遊び、スターンの系譜に連なる小説として論じられる。実際、ジャン・パウル自身がスターントリストラム・シャンディから強い影響を受けている。

ベンヤミンとアドルノがそれぞれ論じ、ユーモアの理論は美学の議論で参照され続けている。

ドイツで最も権威ある文学賞の一つ、ジャン・パウル賞にその名が残る。

日本での紹介は限られる。文体の特異さが翻訳を難しくしているためで、名前は知られていても読まれていない作家の典型にあたる。

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