ジェラール・ド・ネルヴァル
- 原綴
- Gérard de Nerval
- 生没
- 1808–1855
- 出身
- パリ
- 本名
- ジェラール・ラブリュニー
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
生涯
1808年、パリに生まれた。本名はジェラール・ラブリュニー。幼くして母を異国で失い、母方の伯父のもと、パリ近郊のヴァロワ地方で少年時代を過ごした。この土地の風景と記憶が、後の作品にくり返しあらわれる。
若くしてドイツの文豪ゲーテの『ファウスト』を翻訳し、その才を認められた。ロマン派の若い作家たちと交わり、ゴーチエとは生涯の友となった。奇矯なふるまいでも知られ、パリの庭園を、青いリボンにつないだ生きた海老を連れて散歩したという逸話が伝わる。海老は吠えず、海の秘密を知っているから、というのがその言い分だった。一人の女優に長く思いを寄せたが、この報われぬ恋も、作品の主題となった。
四十代に入るころから、精神の病に苦しむようになった。錯乱による入院を繰り返しながら、その狂気の体験そのものを作品に結晶させた。だが病は重くなり、1855年、パリの路地で自ら命を絶った。晩年の傑作は、この最後の数年に集中して書かれた。
作風
ネルヴァルの作品の中心には、夢と現実の融合がある。現実の風景に、記憶や夢、神話が二重写しになり、境目が溶けていく。散文『オーレリア』は、自らの狂気の体験を「夢が現実の生活にあふれ出す」と記し、幻覚のなかで見た世界を、そのままつづった。
記憶と喪失も、一貫した主題である。失われた母、報われぬ恋、過ぎ去った少年時代の土地。取り戻せないものへの、痛切な憧れが、作品の底に流れている。中篇『シルヴィ』は、うつろう記憶をたどりながら、若き日に出会った複数の女性の面影が重なり合う様を、繊細に描いた。
言葉は、神秘的な暗示に満ちる。ソネット「廃嫡者(El Desdichado)」は、神話や星占いの象徴をちりばめ、意味を明かさぬまま、深い喪失感と自己探求をうたう。理屈で解けない、夢のような言葉の連なりが、ネルヴァルの詩の特質である。
作品
『火の娘たち(Les Filles du feu)』(1854年)
短篇と詩をおさめた作品集である。記憶のなかの女性たちの面影を追う中篇「シルヴィ」を含む。うつろう記憶と、失われた恋への憧れを、澄んだ文章で描いた代表作にあたる。巻末には、「廃嫡者」を含む神秘的なソネット群「幻想詩篇(レ・シメール)」が置かれている。のちにプルーストは「シルヴィ」の記憶の描き方を高く評価した。
なお、中東を旅した紀行『東方紀行(Voyage en Orient)』も、東方の神話や伝説への傾倒を示す重要な作品である。
『オーレリア(Aurélia)』(1855年)
自らの狂気の体験を、夢の記録としてつづった散文である。「夢は第二の人生である」という一句で始まり、幻覚のなかで見た神話的な世界を描く。狂気を内側から言葉にした、他に類のない作品である。
文学史における立ち位置と影響
ネルヴァルは、フランス・ロマン主義の枠を越え、近代詩の扉を開いた作家として文学史に名を残す。夢と現実、狂気と正気の境を溶かし、無意識の世界を言葉にしたその試みは、同時代の理解をはるかに超えていた。
その真価は、後世に明らかになった。意味を明かさぬ象徴に満ちた詩は、ボードレール以降の象徴主義の詩を準備した。さらに、夢と無意識を重んじる姿勢は、二十世紀のシュルレアリスムの詩人たちに、直接の先駆として仰がれた。
生前は奇矯な狂人と見られることもあったが、今日では、無意識という近代文学の新しい領域を最初に切り開いた詩人として、その地位は高い。フランス近代詩の隠れた源流の一つである。