シャトーブリアン

原綴
François-René de Chateaubriand
生没
1768–1848
出身
ブルターニュ地方サン=マロ(現・イル=エ=ヴィレーヌ県)
フランス
時代
19世紀

生涯

1768年、ブルターニュの港町サン=マロ(現・イル=エ=ヴィレーヌ県)の古い貴族の家に生まれた。厳格な父のもと、海辺の城で孤独な少年時代を送った。

青年期にフランス革命が起こる。革命の混乱を避けて北アメリカに渡り、大自然と先住民の世界に触れた。この体験が、のちの作品の異国的な情景の源になった。帰国後、革命に反対する亡命貴族の軍に加わって負傷し、以後、長くイギリスで亡命生活を送った。

亡命先で書いた『アタラ』『ルネ』で名声を得た。この二作は、キリスト教の美しさを説く大著『キリスト教精髄』の一部として世に出たものである。帰国後は作家・政治家として活躍し、ローマやロンドンの大使を歴任した。ナポレオンに仕えたが、皇帝が反対派の貴族アンギャン公を処刑した事件に憤って袂を分かち、以後は反ナポレオンの論客となった。王政復古期には外務大臣も務めた。政治の浮き沈みを経て、晩年は大著『墓の彼方の回想』の執筆に打ち込んだ。1848年に没した。

作風

シャトーブリアンの散文は、豊かで音楽的である。アメリカの原生林、大河、嵐といった雄大な自然を、絢爛たる言葉で描き出す。この壮麗な自然描写が、その文章の大きな魅力になっている。

作品の主人公は、満たされぬ憂愁を抱えている。何をしても心が晴れず、漠然とした憂いと倦怠にとらわれる。この「世紀病(マル・デュ・シエクル)」と呼ばれる心のありようを、シャトーブリアンははじめて明確に描いた。とりわけ『ルネ』の主人公は、その典型として、後の世代の若者に強い共感を呼んだ。

キリスト教への傾倒も、作品の背景にある。革命が否定した信仰の美しさと、その情緒的な力を、シャトーブリアンは文学によって復権させようとした。信仰と憂愁、そして雄大な自然が、その文学の三つの柱をなす。

作品

『アタラ(Atala)』(1801年)

北アメリカの原生林を舞台に、先住民の男女の悲恋を描いた物語である。異国的な自然の壮麗な描写と、宗教的な情感によって、大きな反響を呼んだ。

『ルネ(René)』(1802年)

満たされぬ憂愁を抱えて漂泊する青年ルネを描いた物語である。何ものにも心を動かされない倦怠と孤独を語るこの作品は、「世紀病」の原型を示し、ロマン派の若者の心をとらえた。

晩年の大著『墓の彼方の回想(Mémoires d'outre-tombe)』は、自らの生涯と激動の時代を回想した回想録で、フランス散文の傑作とされる。

文学史における立ち位置と影響

シャトーブリアンは、フランス・ロマン主義文学の先駆者として文学史に名を残す。十八世紀の理性を重んじる文学から、感情と憂愁、想像力を重んじる文学へと橋を架けた点に、その大きな意義がある。

「世紀病」の主人公ルネは、後のロマン派の文学に繰り返しあらわれる、憂愁を抱えた孤独な青年像の原型となった。次の世代のユゴーをはじめ、多くのロマン派の作家が、シャトーブリアンを出発点として仰いだ。少年のユゴーが「シャトーブリアンになるか、しからずんば無だ」と日記に記したという逸話は、その影響力の大きさを物語る。

壮麗な散文の書き手としても、フランス文学に大きな足跡を残した。その豊かで音楽的な文体は、後世の作家に長く手本とされた。ロマン主義の父の一人として、その地位は揺るがない。

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