スタール夫人

原綴
Madame de Staël
生没
1766–1817
出身
パリ
本名
アンヌ=ルイーズ・ジェルメーヌ・ネッケル
フランス
時代
19世紀

生涯

1766年、パリに生まれた。本名はアンヌ=ルイーズ・ジェルメーヌ・ネッケル。父は、革命前夜のフランスで財務を担った銀行家ネッケルである。裕福で教養ある家に育ち、幼いころから母のサロン(社交と談論の場)で当代の知識人に囲まれて過ごした。

長じてスタール男爵と結婚し、みずからも有力なサロンを主宰した。政治にも関心が深く、自由主義の立場から発言した。だが皇帝ナポレオンの独裁を批判したため、その怒りを買い、パリから追放された。

追放中、スイスのレマン湖畔のコペの館を拠点に、ヨーロッパ各地を旅した。この館には、思想家バンジャマン・コンスタンや、ドイツ・ロマン主義の批評家シュレーゲルら、各国の知識人が集い、「コペのグループ」と呼ばれる知的な交流の場となった。とりわけドイツへの旅で、ゲーテやシラーらゲーテの文学に触れたことが、代表作『ドイツ論』に結ばれた。ナポレオンの失脚後にパリに戻り、1817年に没した。

作風

スタール夫人の批評の核心は、文学を、それが生まれた社会や風土との関わりのなかでとらえることにある。文学作品を、作者一人の才能の産物としてではなく、その国の気候、宗教、政治、習俗が形づくったものとして見た。この視点は、文学を歴史や社会と結びつけて論じる、近代の批評の出発点となった。

北方の文学と南方の文学を対比させたのも、その見方の応用である。明るく古典的な地中海世界の文学と、暗く内省的な北方ゲルマン世界の文学とを区別し、それぞれの風土との結びつきを論じた。この対比は、古典主義とロマン主義の対立にも重ねられた。

小説では、才能ある女性の運命を描いた。社会の因習のなかで、非凡な女性がいかに苦しむかを主題とし、みずからの経験を色濃く反映させた。

作品

『ドイツ論(De l'Allemagne)』(1810年)

ドイツの文学・哲学・風習を、フランスの読者に紹介した評論である。当時フランスでほとんど知られていなかったドイツ・ロマン主義の文学を、はじめて体系的に伝えた。文学を国民性や風土と結びつけて論じるその方法は、近代批評の先駆とされる。ナポレオンによって発禁とされたことでも知られる。

『コリンヌ(Corinne)』(1807年)

イタリアを舞台に、才能ある女性詩人コリンヌの愛と悲劇を描いた小説である。芸術家としての女性の生きにくさを主題にした。先立つ小説『デルフィーヌ』でも、因習に縛られた女性の運命を扱っている。

『文学論(De la littérature)』(1800年)

『ドイツ論』に先立つ評論である。文学を、社会の状態や制度の移り変わりと結びつけて論じ、文学を社会との関わりでとらえるスタール夫人の方法を、早くも打ち出していた。

文学史における立ち位置と影響

スタール夫人は、フランスにロマン主義を導き入れた批評家として文学史に名を残す。『ドイツ論』によって、ドイツ・ロマン主義の内省的で神秘的な文学を紹介し、古典主義が支配していたフランスの文学に、新しい方向を指し示した点に、その功績がある。

文学を社会や風土との関わりでとらえるその方法は、後の批評に受け継がれた。作品を、それを生んだ環境の産物として読むという発想は、十九世紀の文学史や文学批評の基礎となった。

女性の知識人として、政治にも文学にも積極的に発言し、権力者ナポレオンにひるまなかったその生き方も、後世に記憶されている。近代フランスを代表する女性の批評家として、その位置は確立している。

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